大国主命(みこと)ともいう。日本神話にあらわれる神の名。記紀の神話に,葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを行い,国土を高天原(たかまがはら)の神に国譲りした神として語られている。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の5世の孫(《古事記》)または子(《日本書紀》)とされる。名義は大いなる国主の意で,天津神(あまつかみ)(高天原の神々)の主神たる天照大神(あまてらすおおかみ)に対して国津神(くにつかみ)(土着の神々)の頭領たる位置をあらわす。大国主にはなお大己貴命(おおなむちのみこと),葦原醜男(あしはらのしこお),八千矛神(やちほこのかみ),顕国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名がある。これはこの神が多くの神格の集成・統合として成った事情にもとづいており,そこからオオクニヌシ神話はかなり多様な要素を含むものとなっている。ただ多くの別名のうちオオクニヌシの原型をなすのはオオナムチである。
《古事記》のオオクニヌシを主人公とする物語は,(1)オオナムチが種々の苦難,試練を克服して大いなる国主となる物語,(2)ヤチホコの神の妻問い物語,(3)少名毘古那神(すくなびこなのかみ)(少彦名命)との協力による国作り物語,(4)葦原中国の主として天津神に国譲りする話の4部分からなる。(1)オオナムチには多くの兄(八十神(やそがみ))がいたが,1日かれらは因幡(いなば)の八上比売(やかみひめ)のもとへ求婚に出かける。途中赤裸(あかはだ)の兎と出会い,八十神が兎をいっそう苦しめたのに対しオオナムチは懇切に療法を教えて救い,よって袋を背負い従者の身なりをした末弟のオオナムチがヤカミヒメを得ることとなった。それを怒った八十神はオオナムチを欺いて二度にわたり殺すが,そのつど母神に助けられて蘇生し,祖神スサノオのいる根(ね)の国へ逃れる。根の国ではスサノオから課された蛇の室(むろ),むかで・蜂の室,野焼きなどの難題を解決したことにより,スサノオの娘須勢理毘売命(すせりびめのみこと)を妻となし,また宝器〈生大刀(いくたち)生弓矢(いくゆみや)〉を授かり,それをもって八十神を追い払い初めて国の主となったという。以上の話には動物報恩譚,末子成功譚,難題婿といった説話の型がふまれており,民話的な興趣があるが,根幹は若者に試練を課した古代成年式に基づく王の即位式の説話化と見ることができる。兎を救った話は,民衆のために医療,禁厭(まじない)の方法を定めた(《日本書紀》)とあることの本縁譚で,もって王者の徳“慈愛”を語ったのであろう。(2)はヤチホコの神として越(こし)の国へ妻問いに赴く話だが,前半は越の沼河比売(ぬなかわひめ)との,後半は嫡后(おおぎさき)スセリビメとの長歌の唱和の体をとる。歌はそれぞれ20行前後の長さをもち,その身体行動に即した演劇的表現,性的表現の直截性,全編にわたる滑稽性において古代歌謡の特色をもっともよく伝えている。これらの歌謡はおそらく宮廷の饗宴で俳優により演ぜられたもので,ヤチホコという神名は陽根の象徴と見られる。王者の活力の一端を示す挿話としてオオクニヌシの物語にとりこまれたのであろう。(3)においてオオナムチは海の彼方より漂着した小人神スクナビコナと国作りを行う。この大と小との対照的組合せを示す2神は,《風土記》《万葉集》などに地方の山川を創造・命名し,また農業の本を開いた神として伝承されている。記紀の国作り物語はそうした在地神話の宮廷的・中央的集約とみなされる。ただしスクナビコナは国作りなかばにして常世(とこよ)の国へ去り,かわってあらわれた大物主神(おおものぬしのかみ)がオオクニヌシとともに国作りを完成させる。これはオオナムチがオオクニヌシに統合・吸収される過程で生じた政治的付加といえる。(4)かくして葦原中国の主となったオオクニヌシに対し高天原より国土を天津神の子に譲れとの交渉がはじまる。交渉は両三度に及ぶが,ここでのオオクニヌシは生彩のない受動的な神にすぎず,使神の武甕槌神(たけみかづちのかみ)に対して事代主神(ことしろぬしのかみ),建御名方神(たけみなかたのかみ)(ともにオオクニヌシの子)ともども屈服し,国譲りのことが定まる。その際の条件にオオクニヌシは壮大な社殿に自分をまつることを請いそこに退隠することになったが,これは出雲大社の起源を語ったものである。
オオクニヌシの祖型としてのオオナムチはスクナビコナと組みをなして記紀以外の文献,伝承にもっとも多く語られた神である。そこでは《出雲国風土記》に見える〈五百(いお)つ鉏(すき)の鉏猶(なお)取り取らして天の下造らしし大穴持(おおなもち)の命〉との呼び方や,《播磨国風土記》に伝える2神の我慢くらべ譚,オオナムチが〈屎(くそ)まらずして〉スクナビコナが赤土の重荷を背負ってどこまで歩き続けられるかを競った話のような土着臭の強い神としてあらわれ,記紀の時代以後も諸書に伝承の痕跡を残している。オオナムチあるいはオオナモチの名義は,〈大穴持〉の文字よりすれば洞窟にいる神を意味し,その在地性に即した名といえよう。なお平安末期には大黒天(だいこくてん)を食厨の神として寺院の庫裏にまつる風が生じており,近世期には七福神のひとつとして流布されるが,その過程でオオクニヌシは大黒天と習合されるにいたった。〈大国〉あるいは〈大己貴〉の音をもって通わせたといわれるが,大黒天像の袋を背負い米俵をふまえた姿はなお古代の農神の面影を伝えており,西日本において大黒天が〈田の神〉として信仰されたのも同様の理由によると思われる。またオオクニヌシは現在も“縁結び”の神とされるが,これは記紀のオオクニヌシが子福者であり,〈其の子凡て百八十一神ます〉(《日本書紀》)とされたことの世俗化であろう。
→出雲神話
執筆者:阪下 圭八
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記紀の神話にみえる神名で,スサノオと奇稲田(くしなだ)姫の6世の孫。偉大な国の主の意。オオナムチ・葦原醜男(色許男(しこお))・八千戈(八千矛(やちほこ))神・顕(宇都志(うつし))国玉神などの別名をもつ。「古事記」によれば,オオアナムジ(オオナムチ)がスサノオの試練をへてスセリヒメと結婚することによりこの名を与えられ,兄弟八十神を追い国土全体を支配した。その物語は(1)オオナムチが因幡の白兎を助け,八上比売(やかみひめ)と結婚したことにより兄弟八十神から迫害されるが,根堅州(ねのかたす)国へ渡ってスサノオの女スセリヒメを娶りオオクニヌシとなる物語,(2)八千戈神のヌナカワヒメへの求婚と,スセリヒメの嫉妬と和解についての歌謡物語,(3)オオクニヌシがスクナヒコナおよび御諸(みもろ)山の神とともに国造りを完成する物語,からなる。こののちタケミカヅチの平定事業の際,葦原中国(あしはらのなかつくに)を天津神の御子に献上し,みずからは出雲大社に隠れた。オオクニヌシの名は「古事記」のほかには「日本書紀」一書にみえるのみである。葦原醜男としての活動は「播磨国風土記」にみられる。八千戈神はヤチ(多数)+ホコ(武具)であり,武威をたたえた名とされるが,ホコは男性の象徴ともみられる。この名では「古事記」の歌謡物語や「万葉集」に登場し,オオクニヌシの八島国に及ぶ色好みの徳を語るものとなっている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…《古事記》上巻の,主として出雲地方を舞台とした一連の神話をいう。それは,高天原(たかまがはら)を追放されたスサノオノミコト(素戔嗚尊)の大蛇退治,クシナダヒメとの結婚,その裔オオナムチノカミが白兎を救う話,地下の根の国を訪問し難題にうち勝って須勢理毘売命(すせりびめのみこと)と呪器を得てかえり,名も大国主神(おおくにぬしのかみ)とあらためて出雲の国の王となる話,さらに八千矛神(やちほこのかみ)という名での妻問いの歌物語などからなる。このあとオオクニヌシは葦原中国(あしはらのなかつくに)の荒ぶる神々の頭目に仕立てられ,それらを代表して天照大神(あまてらすおおかみ)の子に国譲りするという話が展開する。…
…これらの地方の〈クニ〉が,強大な中央の政治勢力に隷属するとき,国作りの英雄神も土着性を失って吸収されることになる。天下の国作りを行ったとされる大国主神はこれらの英雄神を統合化して成立したものである。【武藤 武美】。…
…七福神の一神として,福徳を授ける神とされ,家の台所や茶の間にまつられることが多い。春秋の夷(えびす)講には,財布にお金を入れて供えるなど商業神としての性格が強いが,農村では,竈(かまど)神や荒神(こうじん)信仰と習合して,稲の豊作をもたらす田の神の性格をも兼ねる。田植後のサナブリ,刈上祭に稲苗や稲の穂を供える地方もある。漁村では豊漁をもたらす神とされ,海岸や岬などに祠(ほこら)を設けてまつることが多い。…
…また崇神天皇の代にこの神のたたりで疫病がはやり人民が飢え苦しんだので,その子孫の大田田根子に祭らせたところ,天下は安定したともいう。魔物の頭目として大和地方でもっとも土着性の強い国津神(くにつかみ)の一つだが,このオオモノヌシが記紀神話の伝承の中でとくに目立つのは,大国主神(おおくにぬしのかみ)の分身として国作りに協力し,国譲りの後はもろもろの国津神を率いて宮廷を守護したとされている点である。《出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)》にも,オオクニヌシが己の和魂(にぎたま)としてこの神を三輪山に居させ〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉にしたとある。…
…《古事記》冒頭や宮中御巫(みかんなぎ)の祭る神としてこの神は高御産巣日(たかみむすひ)神(高皇産霊尊)と並称され,多くの氏族の祖神となっているが,記紀神話ではタカミムスヒのような重要な働きをしない。しかし《古事記》で食物神の屍(しかばね)から蚕,稲種,粟,小豆,大豆,麦を取って種とし,死んだオオナムチノカミ(大国主神)の下へキサカヒヒメ(赤貝),ウムギヒメ(蛤)を派遣して再生させるなど,生成神のより具体的な姿を示す御祖神(みおやのかみ)・母神となっている。タカミムスヒが支配者側に属するのに対して,この神は地上の神々の中に息づいている。…
…大国主(おおくにぬし)神が葦原中国(あしはらのなかつくに)を天照大神(あまてらすおおかみ)に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原(たかまがはら)からは,はじめに天菩比(あめのほひ)神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。…
…そして大蛇の尾の中から草薙剣(くさなぎのつるぎ)を得たスサノオは出雲の須賀(すが)に宮を造り,みずからの知略と勇武で救い出した娘,奇稲田姫(くしなだひめ)と結婚して葦原中国の基を開いた。つづいて登場する国作りの神,大己貴(おおなむち)神=大国主(おおくにぬし)神はその5世の孫に系譜づけられている。 さてそのオオナムチが難を逃れて赴いた根の国(ねのくに)において,スサノオは彼にさまざまな試練を課する祖神としてあらわれる。…
…作例は,福岡県観世音寺の平安時代の木造立像(重要文化財)が古く,比叡山に所蔵される数体をはじめ比較的多くの彫像が知られるが,これら諸像は皆大きな袋を左肩から背負う一面二臂の立像である。【関口 正之】 中世以後,神仏習合の進展とともに,その袋をかついだ姿や大国主(おおくにぬし)の〈大国〉を〈だいこく〉とよむ音の共通から,大国主神と同一視された。室町時代には,《塵塚物語》の説くように夷(えびす)と大黒の二神併祀がみられた。…
…たとえば皇后の嫉妬はつねに激しい言動で示され,それを恐れ国へ逃げ帰る寵姫を天皇が吉備の国まで追ってゆくというのが黒日売(くろひめ)の話である。こうした仁徳物語は,おそらくその祖型を神話の大国主神譚に負うものといえる。神話では越(こし)の国まで出かけて美女と逢う大国主(八千矛(やちほこ)神)に配して嫡妻須勢理毘売(すせりびめ)の〈うわなりねたみ〉(嫉妬)があり,それに閉口する主人公の姿は両者に共通し,しかも他に例をみない。…
…文化英雄は,至高神や創造神と異なり,既存の世界を前提として,新しい文化要素の発明・発見を行うが,その創造行為は全面的なものでなく,特定の範囲に限定される。日本神話では,大国主神が文化英雄の性格を持つ。彼は,医薬を発明し,虫害・鳥獣の害を除去する法を定めたと伝えられる。…
※「大国主神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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