兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目に所在する前方後円墳。垂水丘陵の南麓に南面して築かれ,明石海峡をはさんで淡路島を指呼の間にのぞむ。全長194m,後円部径125m,前方部幅81mをはかる。墳丘を3段に築き,周濠,葺石(ふきいし),埴輪を有する。西側に接して円墳の小壺古墳が現存する。1965年から神戸市教育委員会が整備事業を進め,75年に完工した。その間に行った墳丘の発掘調査によって,古墳の外表に関する新しい知見が得られた。墳丘の排水面では,葺石の直下に砂質土を敷き,また下段の両くびれ部には礫(れき)をつめた施設があった。埴輪列は墳丘を三重にめぐり,推算2200本を数えるほとんどが鰭付(ひれつき)円筒埴輪である。埋置用の溝を掘って立てならべたことも判明した。また墳丘外縁の施設として,前方部端で通路状遺構,東くびれ部の濠内で方墳状遺構,その斜面から円筒埴輪棺を検出した。古墳の採集品として,碧玉合子(ごうす)片,子持勾玉(まがたま),小玉,土師器(はじき)がある。営造年代は4世紀後葉にあたる。なお,《日本書紀》神功皇后摂政1年2月条の明石の山陵は,五色塚古墳の伝承とする説がある。
執筆者:川西 宏幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
兵庫県神戸市垂水(たるみ)区五色山四丁目にある前期古墳。瀬戸内海に面した台地の端に築かれた兵庫県下最大の前方後円墳で、墳頂からは明石(あかし)海峡を隔てて淡路島を望むことができる。古墳の規模は全長194メートル、後円部径125メートル、高さ18メートル、前方部幅81メートルである。墳丘は三段築成で、斜面には全面に葺石(ふきいし)があり、上段と中段は大きめの石、下段は小さめの石が使われており、総数約223万個、総重量約2750トンと推定されている。地質学的にみると、下段の石は近くの河原や海岸のものであるが、上・中段の石は淡路島のものであるらしく、『日本書紀』神功(じんぐう)皇后摂政(せっしょう)元年2月条の、淡路島から石を運んで古墳をつくったという記事との関連が注目される。また、墳頂部、上・中段テラスには円筒、蓋(きぬがさ)などの埴輪(はにわ)が巡らされている。埋葬施設は不明。1975年(昭和50)に墳丘の復原整備工事が完成し、築造当初の姿が再現されている。1921年(大正10)国の史跡に指定された。
[望月幹夫]
神戸市垂水区五色山にある古墳中期初頭の大型前方後円墳。県下最大の規模をもつ。墳丘外形と埴輪円筒列,葺石(ふきいし)が築造当初の状態に復原された美しい古墳として著名。瀬戸内海の明石海峡に臨む台地の突端にあり,墳長194m,後円部径125m,前方部幅81mで,前方部は南西をむき,3段築成をなす。周濠があり,東側くびれ部近くに1辺20mの方壇と,後円部北東に長方形の壇状施設があった。後円部に石棺と石室があったらしいが明らかでない。墳丘表面から石製合子(ごうし)破片・子持勾玉(こもちまがたま)などが採集され,蓋(きぬがさ)形・盾形埴輪と土師器(はじき)が出土。墳丘の復原によって,約2200本の円筒埴輪と223万個の葺石を用いていたことが判明した。古墳の西に接して直径60mの小壺古墳がある。国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…礫は拳大から人頭大の河原石がよく使われ,付近の河川から運ばれた。墳丘の全面が調査された兵庫県明石市の五色塚古墳(前方後円墳。194m)では,礫の総数は約220万個,総重量が約2800tと推定され,一部は淡路島から船で運ばれたと考えられている。…
※「五色塚古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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