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井上伝蔵 いのうえでんぞう

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百科事典マイペディアの解説

井上伝蔵【いのうえでんぞう】

秩父事件の指導者。埼玉県生れ。1883年自由党に入り,のち秩父自由党の幹事となる。84年困民党の組織化に従事,その蜂起のときは会計長であった。11月4日困民軍本部の解体に際して山中に逃亡。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上伝蔵 いのうえ-でんぞう

1854-1918 明治時代の自由民権運動家。
嘉永(かえい)7年6月26日武蔵(むさし)秩父郡(埼玉県)の旧家に生まれ,絹布の仲買を業とした。明治16年ごろ自由党にはいり,大井憲太郎の知遇を得,秩父自由党の幹事となる。田代栄助を総理にむかえ,秩父困民党の蜂起に際して会計長をつとめた。欠席裁判で死刑判決をうけたが,伊藤房次郎と名をかえ北海道に潜伏し結婚,大正7年6月23日65歳で死去する直前に過去をあかした。

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朝日日本歴史人物事典の解説

井上伝蔵

没年:大正7.6.23(1918)
生年:嘉永7.6.26(1854.7.20)
秩父困民党の幹部。明治17(1884)年秩父事件では会計長となり指導的役割を果たす。逃亡中,欠席裁判で死刑判決を言い渡されたが,伊藤房次郎の偽名で北海道に潜伏し,臨終直前家族に前歴を語った。<参考文献>小池喜孝『秩父颪』

(寺崎修)

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世界大百科事典 第2版の解説

いのうえでんぞう【井上伝蔵】

1854‐1918(安政1‐大正7)
秩父事件の指導者。埼玉県秩父郡下吉田村(現,吉田町)の旧家に生まれ,絹,生糸の仲買,呉服商をいとなみ,秩父自由党の幹事で,大井憲太郎の知己である。身辺に困民党のオルグが多く,その運動の幹部となり蜂起の際は会計長となる。1884年11月4日,困民軍本陣の解体の際田代栄助と逃亡,欠席裁判で死刑の宣告を受けた。2年後北海道に渡り,伊藤房次郎の名で石狩町で代書人となり,柳蛙と号して俳句を残し,1912年野付牛(現,北見市)に移住し,経歴を臨終で語った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上伝蔵
いのうえでんぞう
(1854―1918)

明治時代の自由民権家。秩父(ちちぶ)事件の指導者。武蔵(むさし)国秩父郡下吉田村(埼玉県秩父市)の旧家に生まれる。絹、生糸の仲買い、呉服物店を営み、村会議員、衛生委員、筆生(ひっせい)も務めた。1884年(明治17)5月自由党に入党と公表されたが、実際はこれより早かった。開明的で大井憲太郎とも知己になり、村上泰治の逮捕後、秩父自由党の幹事になる。84年夏から吉田地方を中心に困民(こんみん)党が結成されると、これに参加。10月には大井が井上のもとに蜂起(ほうき)中止の説得使を派遣し、彼も困民党のなかでは穏和派であったが、農民に押し切られた。11月1日、蜂起に際して会計長に任じられ、小鹿野(おがの)、大宮(おおみや)(秩父市)に侵入したが、4日午後になると田代栄助(たしろえいすけ)と皆野(みなの)の本陣から逃亡。欠席裁判では死刑を宣告された。
 1、2年秩父に潜んだのち北海道に渡り、伊藤房次郎と名のって石狩(いしかり)町(現石狩市)に住み、代書業と商店を営み幸福な家庭をつくったが、明治末年野付牛(のつけうし)(北見市)に移住し、大正7年6月、66歳で死去する直前に初めて過去を明かし、世に衝撃を与えた。[井上幸治]

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世界大百科事典内の井上伝蔵の言及

【秩父事件】より

… 1884年8月,生糸の安値に絶望的になった負債農民の山林集会は主として秩父西部でしきりに繰り返され,そのつど警官に解散させられたが,この間に困民党の組織の輪は広がっていった。9月に32ヵ村にわたって在地オルグによる指導組織ができあがると,大宮郷(現,秩父市)の田代栄助が招請され,加藤織平,井上伝蔵らと幹部集団を形成した。こういう動員組織の確立する過程で農民にとって困民党参加は自由党加盟と同じ意味となり,自由党盟約は農民的に読み替えられ,生存維持の現実問題となり,〈板垣さんの世直し〉が標語となる。…

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