デジタル大辞泉
「井上成美」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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井上成美
いのうえしげよし
(1889―1975)
海軍軍人。宮城県に生まれる。海軍兵学校37期。海軍大学校卒業後、イタリア大使館付武官、「比叡(ひえい)」艦長、横須賀鎮守府参謀長などを歴任した。1937年(昭和12)軍務局長に就任し、米内光政(よないみつまさ)海相、山本五十六(やまもといそろく)次官とともに日独伊三国同盟締結に反対した。1940年航空本部長として軍令部の大艦巨砲主義を批判し、海軍の空軍化を主張。1941年第四艦隊司令長官となり、翌1942年サンゴ海海戦を指揮。同年海軍兵学校長となり、英語教育を存続させるなど合理精神を発揮した。1944年海軍次官。1945年大将。戦後は神奈川県横須賀に隠棲(いんせい)し英語塾を開く。陸軍大将阿部信行(あべのぶゆき)は義兄。
[小田部雄次]
『井上成美伝記刊行会編『井上成美』(1982)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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井上 成美
イノウエ シゲヨシ
明治〜昭和期の海軍大将
- 生年
- 明治22(1889)年12月19日
- 没年
- 昭和50(1975)年12月15日
- 出生地
- 宮城県仙台市
- 学歴〔年〕
- 海兵(第37期)〔明治42年〕卒,海大卒
- 経歴
- 大正8〜10年スイス、フランスに駐在。海大卒後、昭和2年イタリア大使館付武官、8年比叡艦長、12年海軍省軍務局長、14年支那方面艦隊参謀長、中将、15年航空本部長、16年第4艦隊司令長官などの要職につき、太平洋戦争を迎える。米内光政、山本五十六と三人トリオとして知られ、3人の中で最も強硬に三国同盟の締結に反対しつづけた。17年海兵校長を経て、19年8月海軍次官となり、終戦工作準備を指令。20年5月大将に進み、軍事参議官。戦後は横須賀の自宅に隠棲して近くの子弟に英語を教えた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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井上成美 いのうえ-しげよし
1889-1975 明治-昭和時代前期の軍人。
明治22年12月9日生まれ。海軍大学校卒業後,イタリア大使館付武官などを歴任。昭和12年軍務局長となり,日独伊三国同盟に反対する。15年航空本部長に就任し空軍重視を主張。19年海軍次官にすすみ,米内(よない)光政海相の終戦工作をたすけた。20年海軍大将。昭和50年12月15日死去。86歳。宮城県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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井上 成美 (いのうえ しげよし)
生年月日:1889年12月19日
明治時代-昭和時代の海軍軍人。海軍大将
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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