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阿部信行 あべのぶゆき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

阿部信行
あべのぶゆき

[生]1875.11.24. 石川
[没]1953.9.7. 東京
陸軍軍人,政治家。陸軍士官学校陸軍大学校卒業後,ドイツオーストリアに駐在。その後,参謀本部課長,参謀本部総務部長,軍務局長,陸軍次官,台湾軍司令官などを歴任,1933年大将に昇進,軍事参議官となった。

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デジタル大辞泉の解説

あべ‐のぶゆき【阿部信行】

[1875~1953]軍人・政治家。石川の生まれ。陸軍大将。昭和14年(1939)首相。第二次大戦への不介入、日中戦争の早期解決を声明したが実践できず、4か月余りで内閣総辞職

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百科事典マイペディアの解説

阿部信行【あべのぶゆき】

軍人,政治家。金沢の生れ。陸大卒。陸軍大将。1929年浜口内閣のとき陸軍次官,一時は代理陸相を勤めた。1939年平沼内閣のあとを受けて組閣。のち中国特派全権大使朝鮮総督などを歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

阿部信行 あべ-のぶゆき

1875-1953 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。
明治8年11月24日生まれ。陸軍省軍務局長,陸軍次官などを歴任。昭和8年陸軍大将。14年首相兼外相となるが,第二次大戦勃発による国内外の混乱に対応できず,翌年総辞職。のち中国大使,翼賛政治会総裁,朝鮮総督をつとめた。昭和28年9月7日死去。77歳。石川県出身。陸軍大学校卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

あべのぶゆき【阿部信行】

1875‐1953(明治8‐昭和28)
第2次世界大戦中陸軍に擁立されて首相などを歴任した軍人。石川県出身。陸軍士官学校(9期),陸軍大学校卒業。関東大震災当時参謀本部総務部長で,戒厳参謀長となるなど中央部の要職を経て,ロンドン条約問題当時陸軍次官で,宇垣一成陸相の病気のため陸相臨時代理となった。次いで大将となったが,二・二六事件で予備役。1939年8月平沼騏一郎内閣総辞職のあと首相となり,欧州戦争不介入を声明したが,国民の生活不安で代議士の退陣要求をうけ陸軍からも見捨てられて40年1月に退陣した。

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大辞林 第三版の解説

あべのぶゆき【阿部信行】

1875~1953) 軍人・政治家。石川県生まれ。陸軍大将。1939年(昭和14)組閣し、日中戦争早期決着、協調外交などの穏健政策をとったが軍部の支持を得られず、五か月で総辞職した。のち翼賛政治会総裁・朝鮮総督を歴任。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

阿部信行
あべのぶゆき
(1875―1953)

陸軍軍人、政治家。石川県金沢生まれ。陸軍士官学校9期。陸軍大学校卒業後、日露戦争シベリア出兵に従軍。参謀本部や陸軍省の要職を歴任。関東大震災のとき戒厳参謀長となる。宇垣閥に属し、浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣では宇垣一成(うがきかずしげ)陸相の代理を務めたが、宇垣退役後は中間的立場をとった。1933年(昭和8)大将。1936年の二・二六事件では軍事参議官として決起将校寄りの態度をみせた。同年3月予備役。1939年8月組閣。日中戦争の早期解決、欧州大戦不介入を掲げたが、貿易省設置の失敗など弱体ぶりをさらけ出し、軍部の支持も失って5か月で総辞職した。1940年中国特派大使、1942年貴族院勅選議員、翼賛政治会総裁、1944年朝鮮総督などを歴任。敗戦後戦犯に指名されたが不起訴となる。海軍大将井上成美(いのうえしげよし)は義弟。[小田部雄次]

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世界大百科事典内の阿部信行の言及

【粛軍】より

…しかし,彼らが二・二六事件の指導者として決起すると,今度は逆に事件の責任の追及と内部統制再建のための措置が粛軍の具体的内容とされた。陸軍中央部は事件鎮圧とともに特設軍法会議を設け,反乱軍指導者をはじめ民間の北一輝らをも死刑を主とする厳罰に処したが,この間,36年3,4月には,事件当時の軍事参議官林銑十郎,真崎甚三郎,荒木貞夫,阿部信行の4大将をはじめ,現役の大将10名中7名を予備役に編入するなど,8月の定期異動をも含めて3000名をこえる空前の将校人事異動を行い,事件の責任を明らかにするとともに,皇道派勢力の一掃をはかった。また寺内寿一陸相は,4月8日の師団長会議で,軍人個々の政治行動は軍人の本分にもとるとし,軍の政治行動は陸軍大臣を通じてのみ行うべきものと訓示して軍内統制の方向を示し,政府も5月の第69議会で不穏文書取締法を成立させて,いわゆる怪文書取締りを強化して軍内秩序を側面から支援する姿勢を示した。…

【翼賛選挙】より

…1942年4月30日東条英機内閣によって実施された第21回衆議院議員総選挙の通称。東条内閣は総選挙にはじめて候補者推薦制度の導入を決定し,42年2月23日,軍部・大政翼賛会・財界・農業団体・貴衆両院・その他の代表33名を招き,元首相阿部信行陸軍大将を会長とする翼賛政治体制協議会(翼協)を結成させた。翼協は〈政事結社〉の届出をし,民間人による自発的運動という体裁をととのえるため,道府県単位の支部を結成し,地元の有力者742名を支部長と支部会員に任命するとともに,政府にかわって候補者の推薦と選挙運動を行った。…

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