人事心理学(読み)じんじしんりがく(英語表記)personnel psychology

最新 心理学事典 「人事心理学」の解説

じんじしんりがく
人事心理学
personnel psychology

人事心理学は,働く人びとの意欲の充足と効率的な業務遂行を追求するために,人を理解し,仕事の環境を整え,人的資源を育成し最適な配置を行なおうとする,心理学の応用的な分野である。なお,業務,仕事および後出する職務,職業などの言葉は,時として同義に用いられるが,ここでは,一人の人が担っている課業(個々の作業要素の集まったもので,果たすべき責任の質と量を伴う)の集まりを職位とし,同じ組織の中で類似する職位の集まりを職務と定義しておく。

【人事心理学の歴史】 働く人びとの欲求や精神的な機能が人事管理上問題になり始めたのは,アメリカの工業化が進展した19世紀末からの能率運動の中で金銭的な動機づけを図る一方で賃率の切り下げをもたらした出来高払制の導入と,それに対する労働者の組織的怠業への対策から作業の科学的・客観的な把握がテイラーTaylor,F.W.によって試みられた時代としてよいであろう。この試みは科学的管理法scientific managementとよばれ,作業の合理的把握を通して客観的に職務を分析・再構築したが,人は経済的な欲求によって動機づけられるという人間観に立ち,差別出来高払制に見るような過度に経済的なインセンティブに焦点を当て,それ以外の部分では,技術的な効率を優先し,そこへ人をいかに当てはめるかに焦点を当てがちであった。すなわち,生理的な機能としての「ひと」の重視が主であったといえよう。

 そのような「ひと」の軽視を心理学的な立場で補完したのが今日の産業・組織心理学の出発点になる産業心理学industrial psychologyである。「産業心理学の父」ミュンスターベルクMünsterberg,H.は,1912年にドイツ語で『心理学と経済生活Psychologie und Wirtschaftsleben』を著わし,1913年には英語で『心理学と産業能率Psychology and Industrial Efficiency』を著わしたが,これらの著書の中で①最適の人,②最良の仕事,③最高の効果の三つの領域を取り上げて論じている。この三つの領域のうちの「最適の人」に関する部分を中心に展開してきたものが人事心理学である。

 この初期の人事心理学は,仕事に合う人をいかに選び,育てるかという点に焦点があり,心理学のテストに関する研究に負うところが少なくなかった。その後,働く人びとの欲求が金銭だけではなく仕事の場における人間関係にもあることを発見したホーソン実験Hawthorne experiment以後は,社会心理学やグループ・ダイナミックスから多くの知見を得て,動機づけやリーダーシップ職務態度,コミュニケーションなどを包摂しながら,人事心理学は質的な深化と拡大を遂げた。

 第2次世界大戦以後は,行動科学の影響を受けて働く人びとの成長欲求への関心が高まり,産業民主主義の影響を受けた労働生活の質の向上quality of working life(QWL),労働の人間化humanization of workの動きも高まった。そこでは,仕事を通して自己の成長やさまざまな要求の充足をいかに図るかという職務再設計job redesignや働く人びとの自律性・意思決定への参加が,重要な研究領域となった。さらに,意思決定への参加意欲を満たすリーダーシップのあり方,成長欲求に対応したキャリア開発,働く女性の働きやすさの追求,ワーク・ライフ・バランスの促進なども人事心理学の重要な領域になりつつある。

【人事心理学の領域】 人事心理学は,ミュンスターベルクが挙げた三つの領域のうちの「最適の人」に関する部分を中心に展開してきたものであるが,具体的には,ある職務を客観的に把握し,その職務に最も適した人に必要とされる能力資格を明確にし,そのような人をどのように選抜し,配置し,育成し,仕事の結果を評価し,そして処遇するのか,に関する領域である。

 近年は,成長欲求に支配された,「(仕事について考え,判断し,自己統制し,行動する意思をもつ)人」としての働く人びとという視点から,管理者の部下へのかかわり方,キャリア発達,仕事の中での快適性,とりわけ,人的な関係における快適性の追求なども,重要な視点になってきたといえよう。具体的に,人事管理のプロセスに従って見ていくと,最初に職務分析job analysisでその職務の内容を明らかにし,その職務を遂行するのに必要な資格要件などから職業適性vocational aptitudeを明確にして,募集・採用を行なう。採用・選抜に際しては,各種の試験(職業適性検査や職業興味検査,性格検査など)を用いる。採用された者には,配置を行ない,実際に仕事をさせてその仕事ぶりや業績を評価し(人事評価personnel appraisal,多くの場合は人事考課という),過不足や将来の異動を考慮して能力開発を行なう。その後退職に向けた退職準備プログラムなどを用意する企業もある。それらと並行して,仕事の効率を高めるために働く人びとを仕事に動機づける処遇,とりわけ賃金や昇進などを主とする報酬制度reward systemと仕事の中での喜びを感じることができる心理的な報酬も,人事心理学の重要な研究領域となった。心理的な報酬にかかわる職務満足感やコミットメント,職務関与などを職務態度job attitudeという。

 バブル崩壊以後に進行したリストラや成果主義など人事管理の制度や運用が,近年は大きく揺らいでおり,雇用への不安,評価への不信や不満,仕事密度の高まり,労働時間の長期化など,心身の健康が阻害される傾向が高まってきた。そこで生じるストレスは,極度の身体疲労と感情の枯渇をもたらすバーン・アウトや,過労死に至る大きな問題に結びついており,単純な健康管理を超えて,仕事の与え方,キャリア開発・育成,評価などに関連したメンタルへルス管理mental health managementが,人事心理学の中でも非常に大きな課題となっている。

【人事心理学の方法】 産業・組織心理学の出発点の一つともなった科学的管理法や人間関係管理の出発点ともなったホーソン実験では,観察や実験が重要な方法を担っている。それに対して,初期の産業心理学の中核の一つであった採用・選抜では,心理学のテストを援用した,職業適性検査や職業興味検査,性格検査やIQなど多様なものが使われている。職務態度に関しては,信頼性や妥当性が検証されオーソライズされた質問紙法によるものが少なくない。 →科学的管理法 →産業・組織心理学 →職業適性 →職務設計 →職務態度 →人事評価 →能力開発
〔小野 公一〕

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世界大百科事典(旧版)内の人事心理学の言及

【産業心理学】より

…産業心理学が取り扱う範囲はきわめて広範にわたり,また研究の重点も変化してきているが,大きく三つに分けてみるとわかりやすい。(1)〈人事心理学〉と呼ばれる分野。仕事を所与または定数,人間を変数と考えて,仕事と人間の適合関係を追求する。…

※「人事心理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」