大正・昭和期の歴史学者 東京大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
歴史学者。長野県諏訪(すわ)に生まれる。1911年(明治44)東京帝国大学文学部を卒業。21年(大正10)同大学文学部講師となり、助教授を経て30年(昭和5)教授となり、ファシズム下の39~44年には文学部長を務めた。リベラルな学風と人柄で学生の敬愛を集め、日本における西洋史学の水準の向上に大きな貢献をした。在職中は著書を出さなかったが、26年間の講義の主要なものは門下生によってまとめられて刊行された。『西洋政治史』『英国社会史』『近世における繁栄中心の移動』『都市発達史研究』は、従来の政治史よりも、社会史、文化史を重視するその学風を伝え、また『歴史学研究法』は総合を尊ぶその方法論を明らかにしている。
[今井 宏]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… 第1次大戦後の世界情勢の変化に対応して,ロシア史やアメリカ史への関心も芽生えたが,この分野の研究は長いあいだ啓蒙的な性格を脱せず,社会経済史,国制史にいたっては,日本史の分野に比べてはなはだしく立ち遅れていた。しかしその中にあって,箕作の自由主義的歴史観を受け継ぐ今井登志喜(1886‐1950)が,大正末期いらいの日本における社会問題の深刻化に触発されつつ,イギリス社会史,都市発達史など斬新なテーマと取り組み,社会経済史的な考察方法を導入したことは,先駆的な意義をもっている。また上原専禄のドイツ中世史研究は,原史料の綿密な操作という点で,これまた画期的なものであり,その学統は経済史の面では増田四郎(1908‐97),国制史の分野では堀米庸三(1913‐75)に継承されて,第2次大戦後の西欧中世史研究を基礎づけることとなった。…
※「今井登志喜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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