コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

今井登志喜 いまいとしき

4件 の用語解説(今井登志喜の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

今井登志喜
いまいとしき

[生]1886.6.8. 長野,平野
[没]1950.3.21. 東京
歴史家。東京大学文学部卒業後,26年間同大学で西洋史,史学概論の講義に専念,その間 1939~44年文学部長をつとめ,47年定年退職リベラルな人柄ときびしい学風で学生を導いた。主著『英国社会史』 (1948) ,『都市発達史研究』 (51) ,『歴史研究法』 (53) は,いずれも講義録である。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

いまい‐としき〔いまゐ‐〕【今井登志喜】

[1886~1950]西洋史学者。長野の生まれ。東大教授。都市の発達史に業績をあげた。著「歴史学研究法」「英国社会史」など。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

今井登志喜 いまい-としき

1886-1950 大正-昭和時代の歴史学者。
明治19年6月8日生まれ。一高教授をへて,昭和5年母校東京帝大の教授となり,14年から19年まで文学部長をつとめる。都市の発達史を中心に西洋とくにイギリスの社会史を研究。昭和25年3月21日死去。63歳。長野県出身。著作に「英国社会史」「都市発達史研究」など。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

今井登志喜
いまいとしき
(1886―1950)

歴史学者。長野県諏訪(すわ)に生まれる。1911年(明治44)東京帝国大学文学部を卒業。21年(大正10)同大学文学部講師となり、助教授を経て30年(昭和5)教授となり、ファシズム下の39~44年には文学部長を務めた。リベラルな学風と人柄で学生の敬愛を集め、日本における西洋史学の水準の向上に大きな貢献をした。在職中は著書を出さなかったが、26年間の講義の主要なものは門下生によってまとめられて刊行された。『西洋政治史』『英国社会史』『近世における繁栄中心の移動』『都市発達史研究』は、従来の政治史よりも、社会史、文化史を重視するその学風を伝え、また『歴史学研究法』は総合を尊ぶその方法論を明らかにしている。[今井 宏]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の今井登志喜の言及

【西洋史学】より

… 第1次大戦後の世界情勢の変化に対応して,ロシア史やアメリカ史への関心も芽生えたが,この分野の研究は長いあいだ啓蒙的な性格を脱せず,社会経済史,国制史にいたっては,日本史の分野に比べてはなはだしく立ち遅れていた。しかしその中にあって,箕作の自由主義的歴史観を受け継ぐ今井登志喜(1886‐1950)が,大正末期いらいの日本における社会問題の深刻化に触発されつつ,イギリス社会史,都市発達史など斬新なテーマと取り組み,社会経済史的な考察方法を導入したことは,先駆的な意義をもっている。また上原専禄のドイツ中世史研究は,原史料の綿密な操作という点で,これまた画期的なものであり,その学統は経済史の面では増田四郎(1908‐97),国制史の分野では堀米庸三(1913‐75)に継承されて,第2次大戦後の西欧中世史研究を基礎づけることとなった。…

※「今井登志喜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今井登志喜の関連キーワードナンバースクール岩石区帝国大学スティーブンソン帝国大学クラークベックマン他形ひん岩帝国大学

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone