今帰仁城跡(読み)なきじんじょうあと

国指定史跡ガイド「今帰仁城跡」の解説

なきじんじょうあと【今帰仁城跡】


沖縄県国頭(くにがみ)郡今帰仁村今泊にあるグスク(城)跡。指定名称は「今帰仁城跡 附シイナ城跡(つけたりしいなじょうあと)」。別名、北山城(ほくざんじょう)。沖縄本島北西部に突き出した本部(もとぶ)半島の北に位置し、周囲を川や谷の急斜面が取り巻いた標高100mほどの丘の上にある。範囲は南北約350m、東西約800mに及ぶ。高さが6~10mある外周約1500mの城壁(石垣)は、自然の地形に沿ってめぐらされ、中国の万里の長城を連想させる。西の大手から東に向かって高くなる地形に、二の丸・北殿跡・大庭(うみやぁ)・御内原(うぅちばる)・本丸が配置されていた。13世紀末ごろから築城が始まったと推測され、北山・中山・南山の三山分立時代の北山王の城であったが、1420年前後に尚巴志(しょうはし)によって北山が滅ぼされた後も、城には統治の要所として監守が派遣された。城跡からは中国や東南アジアの陶磁器が多数出土し、瓦が出土していないところから、屋根は瓦以外のものだったと考えられている。城内には城の由来を記す1749年に建立された「山北今帰仁城監守来歴碑記」が残っている。1972年(昭和47)に「今帰仁城跡」として国の史跡に指定されると、石垣の整備も進み、2000年(平成12)には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。また、2010年(平成22)に史跡の範囲が追加され、「今帰仁城跡 附シイナ城跡」と名称変更された。シイナ城跡は、今帰仁城跡から南東6kmにあり、北山王が最初の拠点として築城したが水の便が悪いため今帰仁城に移ったという伝承がある。今帰仁城跡へは、名護バスターミナルから琉球バス「今帰仁城跡入口」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

百科事典マイペディア「今帰仁城跡」の解説

今帰仁城跡【なきじんじょうあと】

沖縄県北部の今帰仁村西部にある石垣囲いの施設〈グスク〉のうちの一つ。標高約100mの,東シナ海を望む高台に位置する。堅牢な石垣を有する10もの郭からなる複雑な構造で,面積は約1万5000坪にもおよび,大規模といわれる中城城跡を上回り首里城に次ぐ規模を誇る。琉球統一王朝成立前の三山時代,北山王の居城であり,13世紀末の築城とされている。2000年には〈琉球王国のグスク及び関連遺産群〉の一部として世界遺産に登録されている。麓には出土品はじめ,歴史や文化を展示する今帰仁村歴史文化センターがある。
→関連項目沖縄[県]世界遺産条約

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉「今帰仁城跡」の解説

なきじんじょう‐あと〔なキジンジヤウ‐〕【今帰仁城跡】

《「なきじんぐすくあと」とも》沖縄県今帰仁村にある城跡。14世紀後半から15世紀初頭、山北さんほく(北山)・中山ちゅうざん・山南(南山)の三山時代に北山王統の居城として栄えたが、中山の尚巴志しょうはしにより滅ぼされた。昭和47年(1972)国指定史跡。平成12年(2000)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。→琉球

なきじんぐすく‐あと【今帰仁城跡】

なきじんじょうあと(今帰仁城跡)

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

事典・日本の観光資源「今帰仁城跡」の解説

今帰仁城跡

(沖縄県国頭郡今帰仁村)
新おきなわ観光名所100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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