出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福島県大沼郡会津美里町の旧会津高田町に鎮座。伊弉諾(いざなき)尊,伊弉冉(いざなみ)尊,大毘古(おおひこ)命,建沼河別(たけぬなかわわけ)命をまつる。本社は,崇神天皇のとき北陸道に派遣された大毘古命と,東海道に派遣されたその子建沼河別命とが会津で会い,岩代・越後国境の天津嶽(みかぐらだけ)で伊弉諾尊,伊弉冉尊をまつったのがその創祀と伝承され,欽明天皇のとき,現在地に大毘古命たちもともにまつったという。843年(承和10)従五位下,延喜の制で名神大社,のち陸奥国の二宮,明治の制で国幣中社となる。例祭9月15日。御田植祭(7月12日)は日本三大田植祭の一つといわれ,当日神子(でこ)人形等の渡御があり,催馬楽(さいばら)も行われる。
執筆者:鎌田 純一
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福島県大沼郡会津美里(あいづみさと)町宮林に鎮座。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、大毘古命(おおひこのみこと)、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を祀(まつ)る。社伝では、崇神(すじん)天皇10年の四道将軍派遣の際、大毘古命と建沼河別命がこの地に会し、伊弉諾・伊弉冉尊二神を国境の御神楽岳(みかぐらだけ)に祀ったことに始まり、のち博士山(はかせやま)、明神岳、高田南原の地を経て、560年(欽明天皇21)現在地に鎮座したと伝える。843年(承和10)従(じゅ)五位下が授けられ、延喜(えんぎ)の制では名神(みょうじん)大社に列した。中世以降も奥州二宮、会津総鎮守として歴代領主の厚い崇敬を受けた。旧国幣中社。例祭は9月15日。7月12日に行われる御田植祭(県指定無形文化財)は、日本三大田植祭の一つとして知られる。社宝に蘆名(あしな)氏奉納の朱塗金銅装の神輿(みこし)(国指定重要文化財)、木彫狛犬(こまいぬ)(県指定重要文化財)などがある。「あやめ苑」があり、10万株のアヤメが咲く。
[高橋美由紀]
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…会津盆地南西部,宮川上流域を占め,町域の8割は山林からなる。中心の高田は,宮川西岸の扇状地に位置し,陸奥国二宮で会津地方の総鎮守伊佐須美神社の鳥居前町として発達,近世は越後と下野を結ぶ街道の宿駅であり,六斎市が開かれていた。南西に接する永井野とあわせ4kmにおよぶ街村をなしている。…
…このまつりの儀礼には,秘事が多いとされている(《公事根源》)が,《延喜式》巻八の鎮火祭祝詞によると,〈水神匏(ひさご),埴山姫(はにやまひめ),川菜(かわな)を持ちて鎮め奉れ〉とあるから,古儀では水と土と川菜とが用いられたようである。現在も各地に鎮火祭を行っている神社があるが,古儀を伝えているものに,福島県大沼郡会津高田町の伊佐須美(いさすみ)神社がある。同社の鎮火祭は,祭場を庭上に設け,鎮火の儀は,庭上の火の上るのを待って,川菜を投じ,水をそそぎ,土をもって火を埋める。…
※「伊佐須美神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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