佐藤 朝山(読み)サトウ チョウザン

20世紀日本人名事典 「佐藤 朝山」の解説

佐藤 朝山
サトウ チョウザン

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治21(1888)年8月19日

没年
昭和38(1963)年9月14日

出生地
福島県相馬郡中村町

本名
佐藤 清蔵(サトウ セイゾウ)

別名
別号=佐藤 玄々(サトウ ゲンゲン),阿吽洞(アウンドウ)

経歴
代々宮彫師で幼時から彫技を学び、上京して明治38年ごろ山崎朝雲に師事。大正3年再興日本美術院第1回展に出品、同人となり、木彫の「呪咀」「シャクンタラ姫とドゥシャンタ王」など、官能的な作品を発表。11年美術院から派遣されてフランスに留学。アントワーヌ・ブーデルに師事。13年帰国、「牝猫」「鷹」「哺牛」などを制作。昭和12年帝国芸術院会員、同年と14年に文展審査委員を務めた。その後、改組後の帝展に出品したモニュメンタル力作「八咫烏」、紀元2600年記念事業として15年建立された「和気清麿像」を完成。これは北村西望、朝倉文夫にも原型が委嘱され、3者競作となった。戦災で京都妙心寺に移住、35年日本橋三越の大天女像を完成した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「佐藤 朝山」の解説

佐藤 朝山 (さとう ちょうざん)

生年月日:1888年8月18日
大正時代;昭和時代の彫刻家
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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