山崎朝雲(読み)ヤマザキチョウウン

デジタル大辞泉 「山崎朝雲」の意味・読み・例文・類語

やまざき‐ちょううん〔‐テウウン〕【山崎朝雲】

[1867~1954]彫刻家福岡の生まれ。高村光雲師事し、同門平櫛田中らとともに日本彫刻会を結成木彫による写実的表現新生面を開いた。

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精選版 日本国語大辞典 「山崎朝雲」の意味・読み・例文・類語

やまざき‐ちょううん【山崎朝雲】

  1. 彫刻家。福岡県の人。高村光雲に師事。同門の米原雲海らと日本彫刻会を設立。日本木彫の正風を伝え、また写実的表現に新生面を開拓。昭和二七年(一九五二文化功労者代表作大葉子」。慶応三~昭和二九年(一八六七‐一九五四

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20世紀日本人名事典 「山崎朝雲」の解説

山崎 朝雲
ヤマザキ チョウウン

明治〜昭和期の木彫家



生年
慶応3年2月17日(1867年)

没年
昭和29(1954)年6月4日

出身地
福岡県福岡市博多区冷泉町

別名
号=羯摩

主な受賞名〔年〕
文化功労者〔昭和27年〕

経歴
博多の陶工の家に生まれ、明治17年18歳で地元の仏師高田又四郎に師事、20歳で彫刻師として看板を上げた。28年京都の第4回内国勧業博覧会で「養老孝子」が妙技3等賞、宮内省買い上げとなった。29年上京、高村光雲に師事。31年東京彫工会、日本美術協会各審査員。33年パリ万国博で「気比斉晴」「少女猫を抱く図」が銀賞、第5回内国勧業博で木彫「海岸の子供」が2等賞、宮内省買い上げ。37年日英万国博で「戯乗」が金賞、39年ベルギーのリーエージュ博で鋳銅「新装」が名誉賞。40年東京府勧業博覧会審査員となり「桂の影」が1等賞、宮内省買い上げ。41年に日本彫刻会を創立。第2回文展で木彫「大葉子」が3等賞、政府買い上げ。43年文展審査員。日英博で「夏の夕」金賞、「寒夜の衛士」銀賞。大正8年帝展審査員、昭和2年帝国美術院会員、9年帝室技芸員、12年帝国芸術院会員、21年日本芸術院会員、27年文化功労者に選ばれた。他に福岡市東公園の「亀山上皇像」、聖福寺山門の「十八羅漢」、東京・芝の青松寺釈迦三尊像」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「山崎朝雲」の意味・わかりやすい解説

山崎朝雲【やまざきちょううん】

彫刻家。博多の陶工の家に生まれる。郷里の仏師に師事したのち,上京して高村光雲に学び,東京彫工会,日本美術協会展などに出品。1907年平櫛田中らと日本彫刻会を設立し,文展の審査員も勤めた。木彫を手がけ,日本木彫の伝統を伝えながらも新生面を開き,晩年は神像・仏像制作に専心。作品に《明の封冊》《大葉子》。
→関連項目佐藤朝山

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山崎朝雲」の意味・わかりやすい解説

山崎朝雲
やまざきちょううん

[生]慶応3(1867).2.17. 福岡
[没]1954.6.4. 東京
彫刻家。幼名は春吉,号は朝雲,羯摩。初め郷里の仏師高田又四郎に木彫を学び,のち 1895年の第4回内国勧業博覧会に出品した『養老の孝子』が高村光雲に認められ弟子となった。 1900年パリ万博に『気比斉晴』などを出品。 07年米原雲海,平櫛田中らと日本彫刻会を結成。同会をはじめ文展,帝展,新文展,日展を通じて人物彫像を中心に懐古的な題材の作品を出品した。また帝展審査員,帝室技芸員,日本芸術院会員などを歴任。 52年文化功労者となった。主要作品『大葉子』 (1908,東京国立近代美術館) ,『たかおがみ』 (11,同) ,『坂上田村麻呂』 (34,京都市立美術館) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎朝雲」の意味・わかりやすい解説

山崎朝雲
やまざきちょううん
(1867―1954)

彫刻家。号は羯摩(かつま)。筑前(ちくぜん)(福岡県)博多(はかた)の陶工の家に生まれ、土地の仏師(ぶっし)高田又四郎に学び、1895年(明治28)京都内国勧業博覧会出品の『養老の孝子』で高村光雲に認められ、のち上京して入門。1907年(明治40)同門の米原雲海(よねはらうんかい)らと日本彫刻会をおこし、深い精神内容と解放感に満ちた作品を多く発表し、木彫による写実的表現に新生面を開いた。『大葉子(おおばこ)』(1908)、『龗(たかおかみ)』(1911)はその傾向をよく示した代表作である。晩年は木彫界の元老として木彫の正風を伝えるとともに、芸術院会員・帝室技芸員などを歴任、52年(昭和27)文化功労者。その門から佐藤朝山(ちょうざん)(玄々(げんげん))が出ている。

[佐藤昭夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎朝雲」の解説

山崎朝雲 やまざき-ちょううん

1867-1954 明治-昭和時代の彫刻家。
慶応3年2月17日生まれ。仏師の高田又四郎にまなび,高村光雲に「養老孝子」がみとめられて入門する。明治40年米原雲海らと日本彫刻会を結成。芸術院会員。昭和27年文化功労者。昭和29年6月4日死去。87歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。本名は春吉。別号に羯摩(かつま)。作品に「大葉子(おおばこ)」「龗(たかおかみ)」など。

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367日誕生日大事典 「山崎朝雲」の解説

山崎 朝雲 (やまざき ちょううん)

生年月日:1867年2月17日
明治時代-昭和時代の彫刻家
1954年没

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世界大百科事典(旧版)内の山崎朝雲の言及

【明治・大正時代美術】より

…白馬会には菊地鋳太郎,小倉惣次郎が加わり,太平洋画会にはヨーロッパ留学から帰った新海(しんかい)竹太郎(1868‐1927),北村四海(しかい)(1871‐1927)が加わって後進を指導した。これらようやく盛んになりかけた洋風彫塑に対抗して,1907年,岡倉天心を会長とし,米原雲海(1869‐1925),山崎朝雲(1867‐1954),平櫛(ひらくし)田中らの新鋭木彫家6名による日本彫刻会が結成され,文展第3部には,木彫家,彫塑家が一堂に会することとなる。文展では審査員の新海竹太郎,受賞者の朝倉文夫が注目されたが,08年ロダンに師事して帰国したばかりの荻原守衛が,ロダン風の生命感にあふれた表現により識者の評価を集める。…

※「山崎朝雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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