保安処分(読み)ほあんしょぶん

精選版 日本国語大辞典 「保安処分」の意味・読み・例文・類語

ほあん‐しょぶん【保安処分】

〘名〙 犯罪者や罪を犯すおそれのある者に対して、社会を守るため、あるいは本人を矯正するために加えられる教育・治療・保護などの処分。

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デジタル大辞泉 「保安処分」の意味・読み・例文・類語

ほあん‐しょぶん【保安処分】

犯罪者の社会的危険性を除去するため、刑罰に代え、またこれを補充するためになされる保護・矯正・治療・教育などの処分。

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改訂新版 世界大百科事典 「保安処分」の意味・わかりやすい解説

保安処分 (ほあんしょぶん)

社会に危険な行為をするおそれのある者に対して,社会の保安と本人の治療・改善を図るために加えられる処分。刑罰に代わり,または刑罰を補充するものとして行われる処分である。

 刑罰は,犯罪予防の目的をもっているが,通常,過去の犯罪行為に対して,その行為が非難可能なときに,非難可能な範囲で科せられる。したがって,たとえば,重度の精神分裂病統合失調症)などの精神障害のため刑法の条文にあたる違法な行為を行った者は,その行為を法的に非難することはできないから,責任無能力者として,これに刑罰を加えることは許されない。また,責任能力が著しく低い限定責任能力者の行為については刑が減軽される(刑法39条)。そこで,刑罰では再犯を予防し,社会の保安を図るのに不十分な場合があるという理由で,保安処分が行為者の危険性に対応する制度として構想される場合がある。保安処分は,さらに広く,アルコール・薬物中毒犯罪者,常習犯罪者,浮浪者・労働嫌忌者,精神病質犯罪者などをその対象とすることもある。そして,上記のような対人的処分のほかに,没収,営業所閉鎖,法人の解散などの対物的処分をも保安処分に含める場合もある。

実質的に保安処分に相当するものは,すでに中世や近世初頭にもなかったわけではないが,保安処分が体系的法制度として最初に現れたのは,1893年のスイス刑法第1草案においてであった。その後,たとえば,1930年イタリア刑法,33年ドイツ刑法一部改正,37年スイス刑法などによって,保安処分は法制度にとり入れられたのである。しかし,最近では,保安処分を採用している国においても,その制度に対象者の治療・改善の効果が実際にあるのか,あるいは社会の保安を重視するあまり対象者の人権を侵害するおそれがあるのではないか,などの疑問も提起され,制度の手直しが試みられている。

 保安処分に理論的基礎を与えたのは,19世紀後半に登場した新派刑法理論における社会防衛論特別予防論であった。その理論では,刑罰ないし制裁は,社会防衛のために行為者の社会的危険性に対応するものとされたから,刑罰と保安処分との間に本質的区別はなく,将来において両者は保安処分一本に統一されるべきものであるということになる(一元主義)。しかし,その構想は実際の立法においては旧派刑法理論と妥協し,旧派的な〈責任〉(非難可能性)に対しては〈刑罰〉を,新派的な〈行為者の危険性〉に対しては〈保安処分〉をという形で,刑罰と保安処分を両者ともに規定するという立法方法(二元主義)が,保安処分をとり入れた諸国のほとんどにおいて採用されている。

日本の現行法で,実質的に保安処分の性質をもつ制度として,精神衛生法(現,精神保健福祉法)による精神障害者に対する入院措置(29条),麻薬及び向精神薬取締法による麻薬中毒者に対する入院措置(58条の8),売春防止法による補導処分(17条1項,20条),少年法による少年に対する保護処分(1条,24条)などが挙げられる。もっとも,たとえば,少年に対する保護処分は,少年の健全な育成を期して行われるもので,社会の保安上の必要から行われるのではない点で,いわゆる〈保安処分〉とは異なっている。

 日本の刑法全面改正作業の過程では,改正刑法仮案(1940)が,保安処分として,監護処分,矯正処分労作処分,予防処分の4種を規定した。第2次大戦後の改正刑法草案(1974)は,保安処分として,精神障害犯罪者に対する〈治療処分〉と,アルコール・薬物中毒犯罪者に対する〈禁絶処分〉の新設を提案した。〈治療処分〉は,精神の障害のため責任無能力者または限定責任能力者である者が,禁錮以上の刑にあたる行為をした場合に,治療および看護を加えなければ将来再び禁錮以上の刑にあたる行為をするおそれがあり,保安上必要があると認められるときに,裁判所がその言渡しをすることができるというものであった(98条)。〈禁絶処分〉は,過度に飲酒しまたは麻薬,覚醒剤その他の薬物を使用する習癖のある者が,その習癖のため禁錮以上の刑にあたる行為をした場合に,その習癖を除かなければ将来再び禁錮以上の刑にあたる行為をするおそれがあり,保安上必要があると認められるときに,裁判所がその言渡しをすることができるというものであった(101条)。

 しかし,改正刑法草案のこの保安処分に対して,その言渡しの要件としての,将来再び一定の犯罪行為をするおそれがあるという危険性の予測は,現在の科学ではまだ不確実であるという根本的な疑問も提起された。さらに,草案の提案した保安処分に対して,医療的処遇による治療の観点ではなく,社会の保安の観点があまりに濃厚であるという批判も存在した。その批判は,とくに,草案の保安処分が,(1)予測要件として,広く禁錮以上の刑にあたる行為をするおそれがある場合について,保安上必要があるときに処分言渡しの可能性を認め(98条,101条),(2)前記二つの処分のための収容施設を,厚生省所管の病院ではなく,法務省所管の〈保安施設〉一本とするとともに(99条,102条),(3)治療処分における〈保安施設〉への収容期間について無期限の収容を肯定し(100条2項但書),さらに,(4)当初からの施設外処遇としての収容猶予(病院に通って治療をうけるためなどの)を認めることなく,また,(5)刑罰と保安処分をともに言い渡すとき(限定責任能力の場合),刑を先に執行することを原則としている(108条)などの点に向けられたのである。

 その後,1981年に,法務省は,〈保安処分制度(刑事局案)の骨子〉を公表した。その〈骨子〉は,改正刑法草案の保安処分制度に対し,(1)〈保安処分〉の名称を用いることなく,治療処分と禁絶処分とを〈治療処分〉の名称に一本化し,(2)処分対象を,放火,殺人,傷害,強姦,強制猥褻,強盗の罪にあたる行為をした者がこれらの罪のいずれかにあたる行為をするおそれがあるときに限定するなどの修正を加えようとしたものである。しかし,この〈骨子〉による構想に対しても,(1)対象となる罪種を限定することによって,かえって保安の観点が強まるのではないか,(2)精神保健福祉法による入院措置,麻薬取締法による入院措置,医療刑務所収容などの現行法上の諸制度を運用上または制度上充実・改善することと,覚醒剤取締法に入院措置を新設することなどが先決問題ではないか,などの疑問も提起されている。いずれにせよ,処分言渡しの手続,収容施設などの問題を含めて,処分の具体的内容の詳細はまだ公表されるに至っていない。そのこととも関連して,保安処分問題の行方はなお定かでない。
刑罰 →刑法理論 →犯罪
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「保安処分」の意味・わかりやすい解説

保安処分
ほあんしょぶん

犯罪を防ぎ止めるために用いられる刑罰以外の刑事処分。刑事裁判で言い渡される点で行政処分とは異なる。刑罰が責任を前提にして、犯罪に対する規範的応報・非難を苦痛の賦課によって現実化する手段であるのに対し、広義の犯罪(刑罰法規に触れる違法な行為)があることは要件とするが、もっぱら人または物の犯罪的危険性に着目してその解消または発現の抑止を図る手段である。理論的には、対人的処分(狭義の保安処分)と対物的処分(例、没収・営業所閉鎖)の別があり、さらに、対人的処分については、保安を目的とするものと改善を目的とするもの、施設収容によるものとそうでないもの、などに区別できる。典型的な対人的処分としては、たとえば、施設収容処分として、重大な犯罪を反復するおそれのある犯罪者に対する予防処分、精神障害者に対する治療処分、アルコールや薬物の中毒者に対する禁絶処分、労働嫌忌者に対する労作処分があり、施設収容を伴わないものとして、運転免許の剥奪(はくだつ)、居住制限、保護観察、去勢などがある。

 19世紀の中ごろ、ヨーロッパ諸国では、社会の急激な工業化、都市化によって、多くの犯罪者、とくに累犯者が生み出され、他方で刑法において罪刑法定主義、責任主義が強調されて、刑罰権の発動に一定の制約が設けられていた。そのため、社会の秩序を十分に維持することができない状態にあり、保安処分の制度化の必要性が説かれた。近代学派の刑法理論は、刑罰を社会防衛手段と考え刑罰と処分の一元化を主張したが、1893年のストースによるスイス刑法草案をはじめとして、20世紀に入っていくつかの国(例、ドイツ、イタリア)で採用された保安処分は、刑罰との二元主義をとるものであった。

 日本では、刑法改正事業の過程でその採用が試みられ、第二次世界大戦前には、治安維持法の予防拘禁のように特別法で制度化された例もある。戦後、改正刑法準備草案(109条以下)、改正刑法草案(97条以下)が、精神障害者に対する治療処分、アルコール・薬物中毒者に対する禁絶処分を規定し、その必要性は認識されているが、対象者の選択のむずかしさと対象者の人権侵害の危険性への不安から、制度化されるまでには至っていない。現在、保安処分に類する機能を営みうるものとしては、精神衛生法(1988年「精神保健法」、1995年「精神保健福祉法」に改称)の措置入院(治療処分)、医療観察法(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律)の指定医療機関入院・通院(治療処分)、売春防止法の補導処分(労作処分)、成人に対する保護観察、少年に対する保護処分などがある。

[須々木主一・小西暁和]

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百科事典マイペディア 「保安処分」の意味・わかりやすい解説

保安処分【ほあんしょぶん】

社会的危険行為を行うおそれのある者を社会から隔離し,その危険性を矯正(きょうせい)・治療するための処分。現行法上,少年法の保護処分,売春防止法の補導処分などが保安処分的な制度である。なお刑罰も保安処分の一種とみる説もある。改正刑法草案は保安処分を規定しているが,強い批判があり,法典化の遅れの最も大きな原因となっている。→社会防衛論新派刑法学
→関連項目刑法保護観察予防拘禁

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「保安処分」の意味・わかりやすい解説

保安処分
ほあんしょぶん

再犯の危険に対処する目的で刑罰に代え,または刑罰を補充するための,自由剥奪を含む治療,矯正,労作,予防などの処分の総称。犯罪行為につき責任非難をなしえない精神障害者 (特に精神病質者) や薬物中毒者に対する効果が期待されているが,他方では,社会治安の目的に追随し,被処分者の人権を侵害するおそれがある。 1974年の改正刑法草案は,本格的な保安処分として,治療処分と禁絶処分の導入を提案しているが,根強い批判があり実現にはいたっていない。

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世界大百科事典(旧版)内の保安処分の言及

【刑事政策】より

…なお,刑のうち,量的に見て最も多用されているのが罰金であるが(《検察統計年報》によれば,1982年に有罪が確定した者のうち,罰金に処せられた者がその95.3%を占めている),これについては,犯罪抑止効果に乏しいとする議論があるほか,犯罪者の資力に応じた罰金の付科を考慮すべきではないか(日数罰金の導入),また罰金を完納することができないときの滞納留置(労役場留置)を回避するため,延納,分納,自由労働による償却などの制度を導入すべきではないかも問題となる。 なお,責任主義の原理に立つ以上,刑をもってしては犯罪の防止に十分ではない場合に,それを補充するものとして,保安処分を導入することの是非が問題となってくる。具体的には,触法行為を行った精神障害者ないしアルコール・薬物中毒者に対する取扱いが問題となる。…

※「保安処分」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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