保津峡(読み)ホヅキョウ

デジタル大辞泉 「保津峡」の意味・読み・例文・類語

ほづ‐きょう〔‐ケフ〕【保津峡】

保津川の渓谷。川下りで知られる景勝地

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精選版 日本国語大辞典 「保津峡」の意味・読み・例文・類語

ほづ‐きょう‥ケフ【保津峡】

  1. 京都府西部を流れる保津川の峡谷亀岡市保津町から京都市西京区嵐山までの約一六キロメートルをいう。保津川下りの舟遊びが楽しめる。

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日本歴史地名大系 「保津峡」の解説

保津峡
ほづきよう

保津川(大堰川・桂川の一部分、嵯峨川ともいう)の渓谷のうち亀岡より嵐山渡月橋あらしやまとげつきよう(現京都市右京区)付近に至る間をいい、一名嵐峡ともよぶ。景観の美しさで知られ、亀岡より渡月橋まで軽舟で下る保津川下り(約一六キロ、所用時間一時間三〇分―二時間)が行われている。

平安時代より桑田郡の木材は保津川を流されて梅津うめづ(現京都市右京区)などに陸揚げされていたが(→大堰川保津村近世に至るとこの水運は京都西部の経済動脈としてなおいっそう注目されるようになった。とくにこれを重視したのは角倉了以である。了以は筏流しだけでなく、より積極的に通船の隘路となっている保津峡の開削を思い立ったが、それは慶長九年(一六〇四)美作(現岡山県)和気わけ(吉井川)たかせ(高瀬)舟を見た時だったという(了以碑銘)

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改訂新版 世界大百科事典 「保津峡」の意味・わかりやすい解説

保津峡 (ほづきょう)

京都府下を流れる大堰(おおい)川が,亀岡盆地南東部から京都盆地へ流出する区間に,古生層の岩石からなる老ノ坂山地を貫いてつくる峡谷。亀岡市保津町から京都市右京区の嵐山までの約12kmの間を,落差約60mくらいの急流をなして流下し,深さ200mほどの峡谷を刻みこんでいる。この区間を保津川と呼び,その下流は桂川と名をかえる。保津峡は絶壁や露岩の間を早瀬と深淵をなして流れる水流の美しさと,桜,新緑,紅葉,雪景色と四季の美をあわせもち,ハイキングコースや嵐山高雄パークウェーが整備され,京都近郊における著名な観光地となっている。また新保津大橋の河畔から嵐山の渡月(とげつ)橋まで保津川下りの舟が運行し,風景を舟上から楽しむことができ,訪れる行楽客は多い。

 保津川は平安時代から丹波地方の木材がいかだで流され,水運に利用されていたが,1606年(慶長11)角倉(すみのくら)了以が幕府の認可を得て通船の隘路(あいろ)となっていた保津峡を開削,水路を整備した。以来,高瀬舟が運行して木材,薪炭,塩,米などの諸物資が輸送され,江戸時代を通じて京都の経済動脈として重要な役割を果たした。1899年に京都鉄道(現,山陰本線)が開通してから水運は衰退し,代わって登場したのが観光遊楽の舟下りである。峡谷に沿って通ずる山陰本線には保津峡駅がある。

 京都市北区大森に発して,高山寺神護寺などの名勝地のある栂尾(とがのお),槙尾(まきのお),高雄やゲンジボタル生息地として知られる嵯峨清滝などを流下する清滝川は,保津峡駅のすぐ下流で保津川に合流する。
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事典・日本の観光資源 「保津峡」の解説

保津峡

(京都府京都市右京区・亀岡市)
関西自然に親しむ風景100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「保津峡」の意味・わかりやすい解説

保津峡
ほづきょう

保津川

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世界大百科事典(旧版)内の保津峡の言及

【桂川】より

…京都市南西部を流れる川。大堰(おおい)川の下流で,保津峡の出口嵐山から南流して淀川に入るまでの区間をさす。延長約22km。…

※「保津峡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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