日本歴史地名大系 「保津村」の解説
保津村
ほづむら
- 京都府:亀岡市
- 保津村
北は
村内に保津城跡があり、多数の塁跡が認められる。観応三年(一三五二)五月、中津川秀家が保津城を攻略している(遠山家文書)。永正年間(一五〇四―二一)のものと思われる細川高国の「保津諸侍中」宛の感状および書状(保津五苗文書)があり、細川政元の養子高国と同澄元の丹波守護職をめぐる争いで保津の諸侍は高国方であったことがわかる。享禄四年(一五三一)五月二三日には高国の部将内藤彦七が同城で丹波から入京する細川晴元の兵を防ぎ敗死している(実隆公記、二水記)。
江戸時代は、集落の中を流れ保津川に注ぐ
先述の感状および書状の宛名である諸侍の子孫が、侍衆(五姓あって寛文五年から
禁裏御料杣地であった
保津村
ほうづむら
保津村
ほうづむら
保津村
ほつむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報