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後村上天皇 ごむらかみてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後村上天皇
ごむらかみてんのう

[生]嘉暦3(1328).京都
[没]正平23=応安1(1368).3.11. 摂津,住吉
第 97代の天皇 (在位 1339~68) 。南朝第2代の天皇。名は義良 (のりなが) 。後醍醐天皇の皇子。母は新待賢門院藤原廉子 (阿野公廉の娘) 。元弘3=正慶2 (33) 年北畠顕家と陸奥におもむき建武中興政府の東北鎮護にあたった。

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デジタル大辞泉の解説

ごむらかみ‐てんのう〔‐テンワウ〕【後村上天皇】

[1328~1368]第97代天皇。在位、1339~1368。後醍醐天皇の皇子。名は義良(のりなが)。吉野で即位後、足利勢の攻撃に伴って転々と行宮を移動し、摂津住吉で没。

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百科事典マイペディアの解説

後村上天皇【ごむらかみてんのう】

在位1339年−1368年。後醍醐(ごだいご)天皇の第8皇子。母は新待賢門(しんたいけんもん)院阿野廉子(あのれんし)。名は義良(のりよし)。北畠顕家らとともに奥州統治につとめた。
→関連項目観応の擾乱光厳天皇後亀山天皇長慶天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後村上天皇 ごむらかみてんのう

1328-1368 南北朝時代,第97代(南朝第2代)天皇。在位1339-68。
嘉暦(かりゃく)3年生まれ。後醍醐(ごだいご)天皇の第7(または第8)皇子。母は阿野廉子(新待賢門院)。父のあと12歳で即位。父の遺志をつぎ,南朝の京都回復をはかる。正平(しょうへい)一統で北朝の天皇,皇太子が廃され,京都帰還がなるかとおもわれたが,後光厳(ごこうごん)天皇をたてた足利義詮(よしあきら)に念願をはばまれた。応安元=正平23年3月11日死去。41歳。墓所は檜尾陵(ひのおのみささぎ)(大阪府河内長野市)。諱(いみな)は義良(のりなが)((のりよし)),憲良(のりなが)((のりよし))。別名に吉野殿,賀名生(あのう)殿。歌集に「年中行事御百首」。
【格言など】夏草のしげみがしたの埋(むも)れ水ありとしらせて行く蛍かな(「新葉和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後村上天皇

没年:応安1/正平23.3.11(1368.3.29)
生年:嘉暦3(1328)
南朝第2代の天皇。父は後醍醐天皇,母は阿野廉子(新待賢門院)。初め憲良と名乗り,のち義良と改める。「のりなが」ともいう。後醍醐天皇による建武新政(1333)が開始されると,陸奥の経営に当たる陸奥守北畠顕家と共に陸奥に赴いた。建武2(1335)年,足利尊氏の離反によって,義良親王は顕家とその父親房らと西上,父のいる比叡山に入り,同地で元服する。翌年3月,陸奥太守に任じられ再び陸奥の多賀国府(宮城県)に下向。常陸(茨城県),下野(栃木県)での戦況悪化で,建武4/延元2(1337)年8月,西上の途についた。前年暮れ吉野に遷幸していた父のもとに入る。新田義貞,顕家らを失った南朝において形勢を一変しようと,暦応1/延元3(1338)年,弟の宗良親王,親房,結城宗広らと共に伊勢国(三重県)大湊を出帆,三たび陸奥に向かった。しかし船団は途中嵐に遭い,義良親王の乗った船は吹き戻されて伊勢に上陸し,親房らの船は常陸国東条浦に着岸した。 吉野に戻った義良親王は皇太子となり,翌年8月15日,父天皇から譲位され践祚した。貞和4/正平3(1348)年1月,足利方の高師直の軍によって吉野行宮が焼き払われ,天皇は紀伊から大和(奈良県)賀名生に逃れた。一方,足利方では尊氏と弟の直義との対立が激しくなり,直義,次いで尊氏が南朝に一時降伏(和睦),これによって観応2/正平6(1351)年,北朝の崇光天皇は廃位された。翌年2月,京都への帰還のため天皇は賀名生から河内(大阪府),そして男山八幡(京都府)まで進んだが,足利方(尊氏の子・義詮)は南朝に反して攻撃を開始した。幕府軍の総攻撃で,天皇は賀名生に逃れ,ついに京都を保つことはできなかった。その後,河内矢野の金剛寺,観心寺に行宮を移し,住吉で崩じた。観心寺の後山に葬られ檜尾陵と称される。父の遺志を継承しようとした生涯であったが,それを果たすことはできなかった。戦乱のなかではあったが,和歌,音楽への造詣も深く,書にもすぐれていた。

(小森正明)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごむらかみてんのう【後村上天皇】

1328‐68(嘉暦3‐正平23∥応安1)
第97代に数えられる天皇。在位1339‐68年。後醍醐天皇の第8皇子。名は初め憲良,のち義良。母は新待賢門院阿野廉子。父天皇の天下一統の戦いに参加し,はじめ北畠顕家とともに東北経営に従い,いったん吉野に戻り,38年(延元3∥暦応1)再び東国に向かう途中,暴風で帰還,まもなく父天皇のあとをうけて践祚した。以後,吉野や金剛寺,河内東条にあって京都回復,天下一統のための戦いに終始した。《新葉和歌集》に御製十数首がある。

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大辞林 第三版の解説

ごむらかみてんのう【後村上天皇】

1328~1368) 第九七代天皇(在位1339~1368)。名は義良のりよし。後醍醐ごだいご天皇の第七皇子。建武政権下に北畠顕家とともに陸奥に赴き、東北地方を鎮定。即位後は吉野を皇居とし、京都回復を図ったがならず、賀名生あのう・河内・住吉などに転住した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後村上天皇
ごむらかみてんのう
(1328―1368)

南北朝時代初期の(南朝第2代)天皇(在位1339~68)。名は義良(のりよし)(「のりなが」とも読む)。後醍醐(ごだいご)天皇の皇子。母は阿野廉子(あのれんし)(新待賢門院(しんたいけんもんいん))。1333年(元弘3・正慶2)北畠顕家(きたばたけあきいえ)に奉じられて陸奥(むつ)に下向し、奥州将軍府によって東北地方を統治した。35年(建武2)、37年(延元2・建武4)の二度にわたって、建武(けんむ)新政に反旗を翻した足利尊氏(あしかがたかうじ)追討のため上洛(じょうらく)、激戦ののち吉野に入り、三たび東国に下ろうとしたが果たせず、39年(延元4・暦応2)吉野で即位。48年(正平3・貞和4)賀名生(あのう)に逃れ、その後も各地で転戦したが、ついに京都に戻ることなく、正平(しょうへい)23年3月11日摂津国住吉の行宮(あんぐう)で没した。陵墓は大阪府河内(かわち)長野市観心寺後山の檜尾(ひのお)陵。[黒田弘子]

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世界大百科事典内の後村上天皇の言及

【住吉行宮】より

…南北朝時代,南朝の後村上,長慶両天皇の行宮。正平一統(しようへいいつとう)のあと,後村上天皇は1352年(正平7∥文和1)2月26日賀名生(あのう)を出発,河内東条を経て2月28日摂津住吉に到着,住吉大社の神主津守(つもり)国夏の住江(すみのえ)殿を行宮と定め,半月ほど滞在した。このあと天皇は八幡(やわた)(山城男山(おとこやま)行宮)まで進出したが,5月敗退して賀名生に帰った。…

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