保甲法(読み)ホコウホウ(その他表記)bǎo jiǎ fǎ

デジタル大辞泉 「保甲法」の意味・読み・例文・類語

ほこう‐ほう〔ホカフハフ〕【保甲法】

中国北宋王安石新法の一。傭兵ようへいに代わる兵農一致政策で、10戸を保、5保を大保、10大保を都保とし、軍事訓練を施し、警防の任に当たらせた。保甲

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精選版 日本国語大辞典 「保甲法」の意味・読み・例文・類語

ほこう‐ほうホカフハフ【保甲法】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ほこう(保甲)
  3. 日本統治下の台湾で、土匪対策のために実施した連座制による隣保組織。一般行政事務の補助機関としての役割も兼ねた。

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改訂新版 世界大百科事典 「保甲法」の意味・わかりやすい解説

保甲法 (ほこうほう)
bǎo jiǎ fǎ

中国で,政府がいくつかの戸を組み合せて連帯責任を負わせ,民衆の把握,治安の維持,租税徴収などを意図した一種の隣組制度。保,甲ともに戸籍編成の単位をいう。秦の什伍の制,北魏三長制,唐の隣保制なども関連がある。代表的な保甲法は,宋の王安石らの新法の一環として1070年(熙寧3)から実施された。10家(のち5家)を1保,5保を1大保,10大保を1都保に組織したうえで,自警団を作らせ,また徴税を請け負わせた。さらに首都圏と遼・西夏に接する陝西山西河北とでは,保甲単位で成丁に本格的な軍事訓練を施して従来の傭兵に代え,軍事費を削減しようとした。また,保に馬の飼育を課した地方もあった(保馬法)。しかし旧法党が政権を握って以後,保甲法は軍事・警察的性格をしだいに失い,むしろ宋朝の郷村支配の制度に変質していった。明・清時代にも,徴税,戸籍の作成,治安維持などを目的として保甲の制が行われたが,その内容は時代と地域によりさまざまである。
里甲制
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「保甲法」の意味・わかりやすい解説

保甲法
ほこうほう
Bao-jia-fa; Pao-chia-fa

中国,宋,明,清の諸王朝で施行された郷村組織としての隣保・民兵制度。宋代の王安石の新法に含まれる保甲法に始る。 10家を1保,5保を大保,10大保を都保とし,それぞれに保長,大保長,都保正をおき,保丁にはみずから武器を備えさせ,農閑期に武芸を習わせた。煕寧3 (1070) 年畿内に試みられ,のち華北5路に及ぼされた。その後,治安維持を主目的とする制度としても活用され,明では武宗の正徳 12 (1517) 年に王守仁が 10家を1甲とし,その後村落ごとに保長をおき,自衛のための保甲法を施行するとともに郷役と結びつけ,教化政策に利用した。清では,康煕 47 (1708) 年に 10戸で1牌頭,10牌で1甲頭,10甲で1保長を立てる保甲制が行われるようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「保甲法」の意味・わかりやすい解説

保甲法
ほこうほう

中国、北宋(ほくそう)の政治家、王安石(1021―86)の新法の一つ。郷村の治安維持を目的として、民戸10家を一保、五保を一大保、五大保を一都保とし、それぞれに保長、大保長、都保には都保正と副保正を置き、10~30家を一甲として一保丁を任命した。農閑期には軍事訓練を施し、当時弱体化が著しかった禁軍を補う民兵組織としての役割を担わせようとしたが、農民の抵抗が大きく、民兵化の目的は断念させられた。北宋末に差役(さえき)法が復活すると、郷村の治安維持や催税にあたる耆長(きちょう)、戸長などの役(えき)は保甲の組織を利用して割り当てられるようになり、南宋時代には、保甲制度は役法と合体して、もっぱら催税と治安維持を目的とする隣保組織として運用された。

[島居一康]

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百科事典マイペディア 「保甲法」の意味・わかりやすい解説

保甲法【ほこうほう】

中国の隣保制度。保,甲ともに戸籍編成の単位をいう。代表的な保甲法は北宋の王安石の新法に始まる。古くからあった5家を1保とする自治組織を改革して,治安維持のための自治的警察組織としての保制と,徴税機構としての甲制とを組み合わせた。南宋・明に継承され,清では10戸を1牌,10牌を1甲,10甲を1保とする保甲制を施行。

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旺文社世界史事典 三訂版 「保甲法」の解説

保甲法
ほこうほう

北宋の王安石の新法の1つ
従来からあった自治組織を改革し,10家を1保,5保を1大保,10大保を1都保とし,それぞれに長を任命して自治的な警察組織とした。さらに保から選ばれた壮丁に農閑期を選んで軍事訓練を施し,民兵化をすすめ,質の低下した傭兵軍を整理して,軍事費の節減をはかった。また清では,警察的機能を中心とする隣保制として,10戸を1牌,10牌を1甲,10甲を1保とする保甲制が行われた。

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世界大百科事典(旧版)内の保甲法の言及

【隣保制】より

…このような居住地における保以外にも,科挙,任官,旅行,官穀借用など種々の場合に5名で保を結ばせ,共同責任を負わせることが広く行われた。 北宋の1070年(熙寧3)に王安石新法の一環として施行された保甲法は,10家を保,50家を大保,5大保を都保とし(3年後京畿では5,25,250家に改正),保長,大保長,都保正,副保正を任じ,主客戸の2丁以上ある戸から1丁を選んで保丁とし,交代で夜間の防犯警備に当たらせ,武器の使用を認め団体的軍事訓練をほどこし民兵として活用を目ざした。契丹,党項(タングート)等外族の強圧に抵抗し,兵制の弱点を補い同時に治安強化を意図したこの法は,民兵化をきらう農民の非協力と旧法党の反対により十数年で廃止をみた。…

※「保甲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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