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観勒 かんろく Kwanrǔk

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

観勒
かんろく
Kwanrǔk

百済の僧。推古 10 (602) 年来朝し,暦本,天文,地理などをもたらした。同 32年,日本で初めて僧正の位に任じられた。

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デジタル大辞泉の解説

かんろく〔クワンロク〕【観勒】

7世紀の百済(くだら)の僧。602年に来日し、暦法・天文地理・方術の書を伝えた。日本最初の僧正に任ぜられたという。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

観勒【かんろく】

百済からの渡来人で,日本最初の僧正(そうじょう)。生没年不詳。602年来日。暦・天文・地理の書,遁甲(とんこう)(兵術の一種),方術(仙人の術)を伝えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

観勒 かんろく

?-? 百済(くだら)(朝鮮)の僧。
推古天皇10年(602)渡来し,暦本,天文地理書,遁甲(とんこう)方術書をつたえる。32年僧尼を統制する僧官がもうけられた際,僧正となった。

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朝日日本歴史人物事典の解説

観勒

生年:生没年不詳
7世紀の百済の僧でわが国初の僧正。推古10(602)年に来日し,暦本,天文地理書,遁甲方術書を貢上した。このとき選ばれた陽胡玉陳は暦法,大友高聡は天文と遁甲,山背日立は方術をそれぞれ学び修得した。推古32年4月,ある僧が斧で祖父を殴ったとき,天皇が諸寺の僧尼を集め,悪逆僧と共に諸僧尼を罰しようとした。そこで観勒は上表し,僧尼に十分戒律が理解されていないことを説き,悪逆僧以外は許された。推古天皇は統制のため,僧正,僧都,法頭を置き,観勒を僧正,鞍部徳 積を僧都,阿曇連を法頭に任じた。わが国初の僧官である。『三国仏法伝通縁起』によると三論・成実の学問に通じていた。

(松木裕美)

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世界大百科事典 第2版の解説

かんろく【観勒】

百済の来朝僧。生没年不詳。602年(推古10)入朝し,暦本(元嘉暦),天文地理書,遁甲方述書を献じた。624年ある僧が祖父を斧でなぐった事件で,大王(天皇)が諸寺の僧尼に推問して悪逆の僧尼を罰しようとしたとき,仏教伝来以後100年にたらず,僧尼は俗法をわきまえていないので,悪逆以外の僧尼は放免するよう上表して許された。この直後に,はじめて仏教統制機関としての僧正をおき,観勒をこれに任じた。三論宗の法匠ともいわれた。

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大辞林 第三版の解説

かんろく【観勒】

百済くだらからの渡来僧。602年に来朝して、方術・暦・地理などを伝えた。初めての僧正に任じられたという。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

観勒
かんろく

生没年不詳。7世紀の百済(くだら)(朝鮮)の僧。602年(推古天皇10)10月来日し、このとき、暦本、天文地理書、遁甲(とんこう)(妖術(ようじゅつ))方術書を献じた。624年4月、一僧が斧(おの)で祖父を殴る事件が起こると、天皇はこれをとがめ、諸寺の僧尼を集めて推問し、悪逆の僧および諸僧尼を罰せんとした。その際、観勒は上表して、僧尼はまだ戒法になじまないとして悪逆の僧以外をことごとく許すよう願い、許された。その後、詔(みことのり)によって僧正(そうじょう)、僧都(そうず)を置き、僧尼を検校(けんぎょう)(監督)することとなり、観勒が最初の僧正に就任したと『日本書紀』に伝える。[二葉憲香]

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世界大百科事典内の観勒の言及

【暦】より

…したがって日本に最初にもたらされた暦法は元嘉暦と考えるのが妥当であろう。やがて602年,推古天皇10年には百済から観勒(かんろく)という僧が暦や天文地理の本などを献上し,3,4人の書生がこの観勒について勉強したとある。このとき玉陳(たまふる)という人物が暦法を修めたと記されているが,政府が暦法を採用したという記事はない。…

【占星術】より

…《宿曜経》は中国の二十八宿,黄道十二宮,インド起源の二十七宿を用いて,七曜(日・月・五惑星)暦を作成し,日の吉凶を占うほか,誕生の年月日によって本命宮,本命宿を決めてホロスコープを作る方法を述べたものであった。日本へは推古天皇のときに百済の僧観勒(かんろく)によって占星術が伝えられ,後には仏教とともに《宿曜経》による個人のための占星術も伝来した。【橋本 敬造】。…

【僧正】より

…また9,10世紀の敦煌文書中にも,都僧統司の下級僧官として多くあらわれる。日本では,624年(推古32)に僧綱が設けられ,観勒を僧正に任じたのに始まり,明治初年の僧官廃止までおおむね設置された。【竺沙 雅章】。…

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