翻訳|holism
全体は,単なる部分の集合ではなく独自のものを持ち,全体を部分や要素に還元できないとする立場をいう。これに対立する要素論(要素主義)elementalismでは,例えば要素的粒子が発見されれば自然は究極的に説明され,例えばDNAのふるまいを完全に究明すれば生命現象は理解できるなどと主張されることもある。しかし要素的粒子もその集合体は独自のふるまいを持ち,原子核,原子,分子,物体,生物体,人間,社会もそれぞれのレベルで独自の性質を持つと考えられるし,生物も核酸,細胞核,細胞,組織,器官,個体,集団のそれぞれのレベルで独自のあり方を持つので,要素に還元できないと考える立場が全体論である。科学では古代以来,要素的なものによって説明することを方法としてきており,とくに近代科学は自然現象をできるだけ分割・分析して究極の要素に至り,そこから全体を再構成することをもって科学の方法としてきたので,全体論は,伝統的な科学の方法に反対する立場であるということもできる。しかし,要素に還元することなく全体を把握するには,要素以外の原理を必要とするので,全体論はしばしば生気論と結びついてきた。生気論は,要素や部分に還元されない全体独自のものを説明するために〈生気vita(spiritus)〉なるものを導入するのであるが,これによって科学的に説明することになるかどうかには問題がある。
例えば,ドイツの統計学者ジュースミルヒは人口統計をとって大量観察した結果,個人の寿命は無秩序であるが,全体としては死亡率や出生率,男女の出生比が一定になることを見いだした。このように全体として現れてくる規則性は個々の要素に還元したりそこから説明することのできないもので,これを彼は〈神の秩序die göttliche Ordnung〉と呼んだ(1741)。しかし,このような統計的操作によって出てくる秩序が存在するということが確認されれば〈生気〉や〈神〉を持ち出さなくても全体に独自なものがあることは科学的に承認される。統計力学は要素的なものから全体を説明しようとする試みであるが,粒子数がひじょうに多い場合には新しい特有の法則性が出てくるということを前提としていて,この統計的法則性を個々の粒子の力学的法則性に還元できないことを確認している。すなわち巨視的測定値を要素のもつ値の長時間平均値と考えて扱うのである。さらに量子統計法では,粒子の状態から全体を導くのではなく,ある状態にある粒子数から出発するから,量子統計力学は基本的には全体論的であるということができる。こうして必ずしも要素論的ではない方法も科学の方法として承認されつつあり,このような全体論によれば,要素論も生気論も克服されるとして期待をかける意見もある。
他方,人間の心的機能について,それらは脳の各部分がつかさどっているとする大脳定位説(局在論)が現在も有力であるが,失語症の研究から局在論に疑問が投げかけられている。この場合の全体論はGanzheitstheorieと呼ばれるものでフルーランスPierre Flourens(1794-1867)からゴルトシュタインKurt Goldstein(1878-1965)まで有力な見解をなしており,哲学的にはベルグソンやベルリン学派のゲシュタルト心理学者たちによって表明されている。彼らはいずれも要素論的な心理学に対して批判的立場を取り,メロディやパターンなど要素に還元できない〈ゲシュタルト知覚〉の重要性を指摘した。同様の要素論批判はフッサールやメルロー・ポンティなどの現象学においても精力的に行われ,現在では全体論は単なる科学批判ではなく新しい科学の方法として登場してきているといってよい。
社会も単なる個人の集合ではなく社会独自のあり方を持ち,かえって個人が社会に規定されている面が多いと考えられている。経済も個々の企業活動が全体を形づくっているのではあるが,全体としての経済の動きが大きく作用していて,マクロの経済をミクロの経済に還元できないと考えられつつある。しかし,生物が種として生存していることは事実としても,党派や社会や民族や国家に最高の価値が付与され個人はその部分ないし要素に過ぎないとみなされると全体主義totalitarianismになる危険がある。その場合には個人に究極の価値を置く考え方は個人主義であるとして批判されることになる。しかし,個人はそれ自身が一つの全体なのであって,何かの部分や要素と考えることはできない。全体主義は個人を部分ないし要素と考える点で実は要素論にほかならないのであって,全体論は全体主義とは相いれないものである。また上述の自然や生物のレベルもそのようなレベルが連続していると考えるのも仮説であって,研究の際にはそれぞれの対象について全体と部分を考えるのが通例であり,この場合一段下の部分で全体を説明すること(還元主義)の意味も問題になる。レベルづけ自体の再検討も全体論の今後の課題であろう。
→全体主義
執筆者:坂本 賢三
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…20世紀にはそのほかいろいろの種類の全体論が,主として発生学と生理学の成果を土台として提起された。全体論holismの語を提案(1926)したJ.C.スマッツのほか,J.S.ホールデン,B.デュルケンはおもな論者である。J.S.ホールデンは生体と環境を一個の全体とする見方を述べた。…
…一方,生命機械論は生物の現象を終局的に物質現象として理解する立場だが,それにいくつかのちがった考え方があることは後述する。なお新生気論,全体論,生体論(有機体論)などといった生命論の提唱もあり,実際には単純に割り切ることはできない。 生命をどう考えるかは生体の構造と機能の解釈に依存することであり,科学の発展によって異なってくる。…
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