全祖望(読み)ぜんそぼう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「全祖望」の意味・わかりやすい解説

全祖望
ぜんそぼう
(1705―1755)

中国、清(しん)代中期の学者。字(あざな)は紹衣(しょうい)、号して謝山。浙江(せっこう)省鄞(きん)県(寧波(ニンポー))の人。黄宗羲(こうそうぎ)、万斯同(ばんしどう)らの浙東学派を受けて明(みん)代史の研究にとくに傾倒し、清朝への抵抗の姿勢を崩さなかった。早く詩文の才と文献学の才とを査慎行(さしんこう)、方苞(ほうほう)、李紱(りふつ)(1673―1750)らから属目(しょくもく)されていたが、30歳代の初め官途に絶望してのちは、おおむね郷里に閉居して後進の育成に任じた。かたわら『宋(そう)元学案』の修補、『水経注(すいけいちゅう)』の校定、『困学紀聞(こんがくきぶん)』への箋注(せんちゅう)(注釈)などを手がけたほか、多くの論著をものしている。『経史問答』10巻はしばしば顧炎武(こえんぶ)『日知録(にっちろく)』に比倫されるが、祖望の遺稿は多く上梓(じょうし)されぬままに深蔵され、うち散逸してしまった稿も少なくない。『埼亭集(きつきていしゅう)』38巻、同外編50巻、同詩集10巻がある。

[宮内 保 2016年3月18日]

『趙爾巽他編『清史稿』536巻(1928・清史稿編纂館/標点本『二十四史』所収・1976・北京中華書局)』『張舜徽著『清人文集別録』(1963/再版・1980・北京中華書局)』

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改訂新版 世界大百科事典 「全祖望」の意味・わかりやすい解説

全祖望 (ぜんそぼう)
Quán Zǔ wàng
生没年:1705-55

中国,清代の学者。字は紹衣,号は謝山。浙江省鄞(きん)県(寧波(ニンポー)市)の人。乾隆1年(1736)の進士。翰林院庶吉士の官を授けられたが,まもなく辞任し,以後は一生仕官せず,蕺山(しゆうざん)書院,端渓書院の主講として弟子を教えた。その学問は,黄宗羲の《宋元学案》を続修増補して100巻としたり,《水経注》を研究して《校水経注》38巻を著しているように,史学,地理学を得意とし,戴震そして章学誠によってその頂点に達する浙東史学先駆となっている。ほかに《経史答問》《鮚埼亭(きつきてい)集》《鮚埼亭外集》などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「全祖望」の意味・わかりやすい解説

全祖望
ぜんそぼう
Quan Zu-wang

[生]康煕44(1705)
[没]乾隆20(1755)
中国,清の学者,文学者。浙江省ぎん県の人。字は紹衣。号は謝山。若くして学問に励み,乾隆1 (1736) 年進士に及第,庶吉士となったが,上司に憎まれ,すぐ辞職して家に帰る。以後官にはつかず,病がちの身をおして教育と著述とに専念して終った。黄宗羲に私淑してその志を継ぎ,明末の忠節の士の碑伝墓表を書いてこれを表彰し,また黄宗羲の未完の著『宋元学案』を増補完成させた。ほかに『水経注』の校定,『甬上耆旧 (ようじょうききゅう) 詩集』の続撰,『困学紀聞』の箋などの業績を上げた。『続易別録』 (3巻) ,『経史問答』 (10巻) ,『漢書地理志稽疑』 (6巻) ,詩文集『きつ埼亭 (きっきてい) 集』 (88巻) など。

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世界大百科事典(旧版)内の全祖望の言及

【水経注】より

…したがって,体裁や順序が乱れ,経文と注文との区別がつかない部分も生じた。後世これをもとの形に復元しようとする研究が起こり,ことに清代には全祖望(ぜんそぼう),趙一清(ちよういつせい),戴震(たいしん)という3学者が出て,互いに業績を競った。しかし,この3人は年齢からも《水経注》の研究歴の上からも全,趙,戴という順序なのに,それとは逆に成果が出版されたため,学界に大問題を起こした。…

※「全祖望」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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