内宴(読み)ナイエン

デジタル大辞泉 「内宴」の意味・読み・例文・類語

ない‐えん【内宴】

内々の宴。内部の者だけで催す宴。
平安時代宮中で行われた内々の公事くじ。正月20日ごろのの日に仁寿殿じじゅうでん南廂みなみびさし天皇出御公卿以下文人を召して詩文を作らせ、また酒宴を催した。

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精選版 日本国語大辞典 「内宴」の意味・読み・例文・類語

ない‐えん【内宴】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 内々に催す宴。内部の者がとり行なう宴。だいえん。〔五代史‐蕭希甫〕
  3. 平安時代、正月二一日頃に天皇が、通常、仁寿殿に出御して公卿以下文人などを召して行なう内々の宴。題を賜わって漢詩漢文を作り、御前に講ずるほか、管弦なども行なわれた。だいえん。《 季語新年
    1. 内宴<b>②</b>〈年中行事絵巻〉
      内宴年中行事絵巻
    2. [初出の実例]「帝觴于近臣、命楽賦詩。〈略〉此復弘仁遺美、所謂内宴者也」(出典日本文徳天皇実録‐仁寿二年(852)正月己丑)

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改訂新版 世界大百科事典 「内宴」の意味・わかりやすい解説

内宴 (ないえん)

内裏で行われた宮中の私宴。正月21日に行われ,もし21,22,23日の3日間のうちに子日(ねのひ)があれば,子日に行う。文献上では812年(弘仁3)嵯峨天皇神泉苑行幸,文人を召し,宴を行ったのが初見とされているが,これ以前より行われていたことは確実である。《類聚国史》は809年(大同4)とするが,これを起源とするのはむずかしい。《河海抄》は813年を始めとし,〈唐太宗之旧風也〉と説明する。平安時代の儀式については《西宮記》《北山抄》にくわしく,天皇が仁寿殿に出御,文人の詩があり,講詩が詩を披講し,内教坊の舞姫が舞を奏する。のち宴会となり,若菜羹(あつもの)を群臣一同にたまわる。この陪膳には采女が奉仕するが,更衣の奉仕することもあった。長元年間(1028-37)に一時中絶し,藤原通憲によって1158年(保元3)再興したが,まもなく廃絶。1111年(天永2)に成立した大江匡房の《江家次第》には,この宴は書かれていない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内宴」の意味・わかりやすい解説

内宴
ないえん

朝廷年中行事の一つ。毎年、通常は正月20日、正月21日から23日のいずれか1日が子(ね)の日であれば当該日を選び行われた。天皇主催による内々の宴の意。内裏の仁寿殿(じじゅうでん)に作文(さくもん)(漢詩)に才ある臣下を集めて行われた詩宴が起源。史料上の初見は嵯峨天皇の809年(大同4)。812年(弘仁3)、813年などの諸説がある。本来は不定期の宴であったようだが、仁明(にんみょう)朝(833~850)頃より式日が定まった。後一条天皇の1034年(長元7)以後は途絶し、1158年(保元3) 内裏新造を機に藤原通憲(ふじわらのみちのり)(信西(しんぜい))らが再興し、翌年も続行されるが以後は途絶えた。同時期に作成された行事絵『年中行事絵巻』中に具体的な式場の様子等が描かれている。院政期頃より和歌・詩会の遊宴の典型例として、以後の宮廷文芸行事の行事内容にも影響を与えた。

[佐多芳彦]

『倉林正次著『饗宴の研究 儀礼編』(1965・桜楓社)』『山中裕著『平安朝の年中行事』(1972・塙書房)』『鈴木敬三著「年中行事絵巻『内宴』について」(「日本歴史」134)』

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普及版 字通 「内宴」の読み・字形・画数・意味

【内宴】ないえん

宮中の宴。

字通「内」の項目を見る

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