12世紀後半(平安末期),後白河法皇の命により宮廷や公家の年中行事,四季の遊楽などを記録するため制作された60余巻にも及ぶ絵巻。原本は蓮華王院(三十三間堂)宝蔵に収蔵され,宮中典儀の軌範となったが,しだいに散失し,ついには江戸初期の内裏の大火で焼失してしまった。わずかに残った原本を1661年(寛文1)前後に住吉如慶・具慶父子が模写した朝覲行幸,斎会,賭弓,内宴などを内容とする16巻をはじめ,諸家に伝わる模本類によって,わずかに当初の3分の1ほどの図様をしのぶにすぎない。後白河法皇は1157年(保元2)内裏新造に着手し,長らく途絶えていた内宴や相撲節会(すまいのせちえ)など朝儀の再興に熱意を示し,このように大規模な絵巻の企画制作に至ったのであろう。原本の制作には多くの画家が参画したものとみられ,なかでも宮廷絵師常盤光長が中心的な役割を果たした。住吉父子による模本は細部までかなり忠実に原画を写しとっており,複雑な建物の構成や整然と行われる儀式,あるいは周辺に群らがる庶民のありさまなど,活力に満ちた場面は原画のすぐれた表現力をうかがわせる。さらに《伴大納言絵詞》(12世紀末)はじめ《春日権現験記》(14世紀)などに通ずる画面が諸所にみられ,この絵巻が宮廷絵所(えどころ)において強い影響力をもっていたことも想像に難くない。
執筆者:田口 栄一
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絵巻。平安時代における宮中の儀式や、祭事、法会(ほうえ)、民間の宗教上の風俗など、年中の行事を集めて描いたもの。平安末期に後白河(ごしらかわ)法皇が六十巻余に及ぶ絵巻を常盤光長(ときわみつなが)を中心に制作させ、藤原基房(もとふさ)に校閲させて蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)の宝蔵に収め後世に伝えた。この原本はしだいに散逸し、残ったものも江戸時代に幾たびかの内裏(だいり)の炎上で焼失した。現在は失う前に模した模本が伝わり、田中家その他に分蔵される。これは、1661年(寛文1)ごろ、宮中にあった原本を土佐広通(ひろみち)(住吉如慶(じょけい))が写した白描(はくびょう)模写十六巻をはじめとしたもので、二十四、五巻分の図様を伝えている。近世の模写とはいえ、平安時代の風俗資料としてきわめて高い価値を有する。
[村重 寧]
『福山敏男編『新修日本絵巻物全集24 年中行事絵巻』(1978・角川書店)』▽『小松茂美編『日本絵巻大成8 年中行事絵巻』(1977・中央公論社)』
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宮廷や公家の行事,四季の遊楽を記録した絵巻。平安後期につくられた原本は散逸・焼失したが,土佐広通(住吉如慶(すみよしじょけい))らの模写した白描模本16巻と諸系統の模本が田中家などに伝わり,原本の約3分の1の図様が知られる。原本の制作には常磐(ときわ)光長をはじめ多くの宮廷絵師が参加したという。「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」には,後白河上皇が年中行事絵を作らせ蓮華王院の宝蔵に納めたことが記され,原本はこれにあたると推定される。
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…大社寺の祭礼に巫(みこ),師子舞,田楽(でんがく),王の舞,十烈(とおつら),猿楽などとともに出た芸能で,《栄華物語》巻二十四に,〈御霊会の細男の手拭して顔隠したる心地するに〉とあるように,その芸態は,烏帽子姿の者が白布で顔を隠し,胸につけた鼓を打つ。平安時代末の姿を伝える《年中行事絵巻》の祇園御霊会の図中に,馬乗姿が描かれている。細男が顔を隠すことは《八幡愚童訓》に次の説話が載る。…
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