内管領(読み)ウチカンレイ

デジタル大辞泉 「内管領」の意味・読み・例文・類語

うち‐かんれい〔‐クワンレイ〕【内管領】

鎌倉時代執権北条氏家司けいし。元来は北条氏の家政を執る私的な役職にすぎなかったが、鎌倉末期には執権の後見役として政務を処理し権勢を振るった。ないかんれい

ない‐かんれい〔‐クワンレイ〕【内管領】

うちかんれい

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精選版 日本国語大辞典 「内管領」の意味・読み・例文・類語

ない‐かんれい‥クヮンレイ【内管領】

  1. 〘 名詞 〙 鎌倉時代、北条氏宗家の家司(けいし)。北条氏の家政をつかさどる職であったが、後に北条氏が執権を独占するようになって、その後見として大きな勢力を持った。うちかんれい。ないかんりょう。
    1. [初出の実例]「彼の内管領長崎入道円喜と申すは」(出典:保暦間記(14C中))

うち‐かんれい‥クヮンレイ【内管領】

  1. 〘 名詞 〙ないかんれい(内管領)

ない‐かんりょう‥クヮンリャウ【内管領】

  1. 〘 名詞 〙ないかんれい(内管領)

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改訂新版 世界大百科事典 「内管領」の意味・わかりやすい解説

内管領 (うちかんれい)

ないかんれいともいう。鎌倉時代,執権を独占した北条氏の家督である得宗家の家人御内人(みうちびと)と呼ばれたが,御内人の筆頭が内管領である。御内人は北条義時・泰時のころより育成され,やがて御家人の勢力をもしのぐようになった。内管領はこの御内人の勢力を背景に,経済的には広大な得宗領を基礎として勢威を振るった。はじめて内管領と呼ばれた平頼綱は,得宗貞時の乳母の夫として貞時を養育した関係もあって,大きな力を幕政に及ぼし,1285年(弘安8)には政敵安達泰盛を倒して,10年にわたって幕府実権を握った。その専権のゆえに頼綱が貞時に滅ぼされると(平禅門の乱),かわって内管領には長崎氏がなり,高綱・高資と続く。このうち高資は暗愚の得宗高時を補佐して,幕政の実権を握り,金沢貞顕や赤橋守時を執権にすえるなど,執権職をも左右した。さらに高時によってさしむけられた討手をも退けてからは,揺るぎない地位を幕政上に確立した。
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百科事典マイペディア 「内管領」の意味・わかりやすい解説

内管領【うちかんれい】

〈ないかんれい〉とも。鎌倉時代,執権(しっけん)北条氏の家督である得宗(とくそう)家の家人(御内人(みうちびと))の筆頭。北条氏の専制体制強化に伴い,御内人は広大な得宗領の管理により経済力をつけ,勢力は御家人をもしのぐようになった。13世紀末得宗貞時(さだとき)の時,初めて平頼綱(よりつな)が内管領と呼ばれて幕政の実権を握った。得宗高時(たかとき)の時の内管領高資(たかすけ)は執権職をも左右した。
→関連項目御内人

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内管領」の意味・わかりやすい解説

内管領(うちかんれい)
うちかんれい

鎌倉末期において、北条氏の家督(得宗(とくそう))が、得宗に仕える御内人(みうちびと)のうちの頭人(とうにん)をもって任じた職名。「ないかんれい」とも読む。1224年(元仁1)尾藤景綱(びとうかげつな)を得宗北条泰時(やすとき)の家令に任じ、後見を命じたのをもって嚆矢(こうし)とする。本来、この職は私的な家政機関であったが、北条氏(得宗)の専政体制が強化されるにつれて、幕府政治機構の中枢に位置して権勢を振るうようになる。関東の有力御家人(ごけにん)三浦氏が滅ぼされたのち、御家人の代表と目された安達泰盛(あだちやすもり)を1285年(弘安8)の霜月(しもつき)騒動で誅殺(ちゅうさつ)したのは内管領平頼綱(よりつな)である。かくして、その勢力は有力御家人をしのぎ、北条高時(たかとき)の内管領長崎高資(たかすけ)は、ついには北条氏一門による執権の地位をも有名無実化するに至った。

[黒川高明]


内管領(ないかんれい)
ないかんれい

内管領

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「内管領」の解説

内管領
ないかんれい

「うちかんれい・うちのかんれい」とも。鎌倉後期,北条氏得宗家の執事。得宗家の家臣を御内人(みうちびと)というが,「御内の管領」の略であろう。得宗(北条氏惣領)の地位が強化されるにつれ,その家政機関得宗公文所(くもんじょ)の整備も進み,長官(家令・執事)の威権も増大した。さらに得宗専制体制が確立する13世紀後半,御内人勢力の頂点に立つ執事平頼綱は,新たに内管領と称され,その権勢は霜月騒動をへて極盛期を迎えた。だがこれを危惧した得宗貞時は頼綱を殺害(平禅門(へいぜんもん)の乱)。一時,北条氏一族の宗方が「内の執権」となったが,その後は御内人長崎高綱・高資(たかすけ)父子が本職を世襲,得宗高時をしのぐ専権をふるった。


内管領
うちかんれい

内管領(ないかんれい)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内管領」の意味・わかりやすい解説

内管領
うちかんれい

鎌倉時代末期に北条氏の嫡統当主 (得宗という) の専制が強化されるに従って,得宗の家臣 (特に御内人といった) の勢力も増大した。特にその勢力が著しく増大したのは,秋田城介の乱以降であったが,その御内人の頭首を内管領といった。北条高時のときには,内管領長崎高資が幕府の実権を握り,その権勢は執権をしのいだ。

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旺文社日本史事典 三訂版 「内管領」の解説

内管領
うちかんれい

鎌倉時代,執権北条氏の家督(得宗)の家政をとった家司
「ないかんれい」とも読む。本来は,北条氏の家政をとる私的なものであったが,鎌倉末期に執権の後見として幕政の実権を握り権勢をふるった。北条高時の内管領長崎高資 (たかすけ) は有名。

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世界大百科事典(旧版)内の内管領の言及

【内管領】より

…ないかんれいともいう。鎌倉時代,執権を独占した北条氏の家督である得宗家の家人は御内人(みうちびと)とよばれたが,御内人の筆頭が内管領である。御内人は北条義時・泰時のころより育成され,やがて御家人の勢力をもしのぐようになった。…

【侍所】より

…それ以降,北条氏得宗(当主)と執権の地位が分離すると,侍所別当の地位には執権がつくが,侍所の実権は頭人(とうにん)に移った。頭人には御内(みうち)人と呼ばれる得宗被官が任ぜられ,末期には御内筆頭である内管領がこれに任じ,得宗に直結して侍所を掌握した。こうして侍所構成員は得宗被官が実権を有したが,検断沙汰等の実務に当たるのは奉行人と呼ばれる一般御家人中の吏僚で,外様であった。…

【御内人】より

…この後,北条氏の家督である得宗とその被官とは強いきずなで結ばれ,得宗邸には得宗を中心に一族,御内人が集まって寄合(よりあい)という私的な会合を開き,そこで幕府の事実上の政治的決定を行った。ここに御内人の地位は一躍上昇し,御内人筆頭の得宗家の家令は内管領(うちかんれい)と呼ばれて強力な権限を握り,評定衆以下の幕府の人事をも左右した。このため御家人勢力との対立をおこし,1285年(弘安8)には御家人勢力を代弁する安達泰盛を内管領平頼綱が滅ぼす弘安合戦(霜月騒動)といわれる事件がおきている。…

※「内管領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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