古代国家の官職名。日本古代においては常設の官職ではなく,時の権力者に与えられた臨時の官で,任例は645年(大化1)の藤原鎌足,721年(養老5)の藤原房前(ふささき),771年(宝亀2)の藤原良継,778年の藤原魚名の4例のみである。令の制度に規定のない令外の官職で,制度上の職掌,地位,性格は未詳である。ただし,藤原良継の任命時に官位,禄賜職分雑物は大納言と同じとされ,食封1000戸(左右大臣と大納言の中間)と定められたことがある。内臣の名称,職掌はおそらく百済など大陸の制度の影響を受けた点もあると思われるが,藤原鎌足をはじめとする4名の任命者がいずれも天皇の側近の臣として政務を補佐し,天皇と行政機構である太政官との間にあって権勢をもっぱらにした事実を考えると,内廷の臣として天皇を擁護し,政務の機要を掌握する,日本古代国家独特の官職であったと思われる。
→内大臣
執筆者:山本 信吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「ないしん」とも。孝徳朝の大化の改新政府で新たにおかれた官。中臣鎌足(なかとみのかまたり)が任じられ,終身この職にあったのが初例。天皇もしくは中大兄(なかのおおえ)皇子の政治顧問で,左右大臣などとは別系統と考えられ,令制にも規定されなかった。元正朝においても藤原房前(ふささき)が任じられ,天皇や首(おびと)皇太子を補佐した。さらに光仁朝では藤原良継が任じられ,その官位・待遇が定められたが,員外大臣の性格が強い。ついで藤原魚名(うおな)が任じられ,官名が忠臣(ちゅうしん)と改められたが廃絶した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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