パルチファル(その他表記)Parzival

改訂新版 世界大百科事典 「パルチファル」の意味・わかりやすい解説

パルチファル
Parzival

ドイツ中世の宮廷叙事詩。正しくは《パルツィファル》。ウォルフラムエッシェンバハの)の代表作。2行ずつ韻を踏んだ2万5000詩行に近い長編で,1210年ごろ成立。フランスの作家クレティアン・ド・トロア未完の聖杯物語《ペルスバル》がおもな典拠と考えられるが,単なる模倣ではなく,幾多の重要な改変が加えられ,内面的深さと独創的な構成法によって中世ドイツ文学の最高傑作の一つに数えられている。主人公パルチファルは父の死後人里離れた森の奥で育てられる。しかし夫の命を奪った騎士生活から愛児を守ろうとした母の悲願も空しく,彼は家系の血に駆られて騎士への道を突っ走る。アルトゥス(アーサー)王の円卓騎士となるが,未熟ゆえに罪を犯し,聖杯を逸して名誉を失墜する。罪の自覚のない彼は神の仕打ちをうらんで独力で聖杯探求の旅に出るが,迷誤と苦悩に満ちた流浪の途次,隠者の導きによって深い神の恩寵を悟る。回心が成就すると,再び聖杯城への道が開け,彼は老いた城主を難病から救い,聖杯王に選ばれる。

 アーサー王伝説聖杯伝説題材とするこの叙事詩は,パルチファルと並んで円卓騎士ガーワンが活躍し,サスペンスに富む騎士の愛と冒険には事欠かないが,しかし作者が描こうとしたのは理想的な円卓騎士ではなく,現世と神の国の調和合一を使命とする聖杯騎士である。森の中の自然児の素朴な信仰に始まり,神からの離反を経て,新たに信仰を得て聖杯王になる主人公の宗教的発展過程を通じて,キリスト教的中世の理想的騎士像が追求されるのである。この作品には同時代に例を見ないほど多くの写本が残っていて,断片を加えると84種にも達する。これはこの叙事詩が難解な文体にもかかわらず,いかに広く愛好され所望されたかを示すもので,後代に与えた影響も大きい。これに取材した作品の中ではとくにW.R.ワーグナーの楽劇《パルジファル》が有名である。
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百科事典マイペディア 「パルチファル」の意味・わかりやすい解説

パルチファル

ウォルフラム(エッシェンバハの)の叙事詩。中世の聖杯伝説に基づき,クレティアン・ド・トロアの《ペルスバル》に次いで13世紀初期に成立,16巻約2万5000行からなる。森で育ったパルチファル(清らかな愚者の意)が,円卓の騎士に加わり,苦労を重ねた末,信仰に立つ理想的騎士に成長し,聖杯城主となるまでを描く。断片も含め,80種以上の写本が残る。教養小説原型とされる。ワーグナーの楽劇《パルジファルParsifal》はこれに暗示を受けたもので,1882年初演。3幕からなり,〈舞台神聖祭典劇〉と呼ばれる。
→関連項目コルトー

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世界大百科事典(旧版)内のパルチファルの言及

【日露戦争】より

…3月の奉天会戦も日露両軍ともに最大限の兵力を結集しての激闘となり,日本側にとってこれ以上戦争を継続することは,軍事力のうえでも,戦費負担の面でも限界をこえるものになっていた。 この間,連合艦隊は旅順港口を封鎖してロシア艦隊の活動を抑制していたが,ロシアがバルチック艦隊を東航させたため,それとの決戦に備える必要から旅順の早期占領を要請した。1905年5月対馬海峡沖での日本海海戦で,東郷平八郎が率いる連合艦隊は圧倒的な勝利を収め,戦局全体の帰趨を決めることになった。…

【日本海海戦】より

…日露戦争中の1905年5月27~28日,日本海で,日本,ロシア両国艦隊により行われた海戦。ロシアは開戦以来の戦勢を挽回するため,ヨーロッパからバルチック艦隊を東洋に増遣することを決め,ロジェストベンスキー中将が指揮して,1904年10月,バルト海のリエパヤ軍港を出港した。途中,日本の同盟国イギリスの監視,圧力,妨害をうけながら,222日に及ぶ長途の遠征の後,05年5月27日早暁,対馬海峡東水道入口に達したが,日本の哨艦〈信濃丸〉はこれを発見,報告した。…

※「パルチファル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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