デジタル大辞泉
「円地文子」の意味・読み・例文・類語
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えんち‐ふみこ【円地文子】
- 小説家、劇作家。東京出身。本名富美(ふみ)。国語学者上田万年の次女。劇作から小説へ転じ、「ひもじい月日」「女坂」など女性の心理と性理を描きだした作品で作家としての地位を確立した。他に「なまみこ物語」「妖」など。明治三八~昭和六一年(一九〇五‐八六)
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円地文子
えんちふみこ
(1905―1986)
小説家、劇作家。明治38年10月2日、東京・浅草生まれ。本名富美(ふみ)。国語学者上田万年(うえだかずとし)の次女。日本女子大附属高等女学校中退。初め『晩春騒夜』(1928)などの戯曲を書き、『東京日日新聞』記者円地与四松と結婚、一女出生。1935年(昭和10)戯曲集『惜春』刊行後小説に転じた。45年空襲で被災、家財道具蔵書類を焼失。翌年子宮癌(がん)の手術を受ける。小説家としてはしばらく低迷が続くが、53年(昭和28)に発表した『ひもじい月日』は、長年、女のひもじさに耐えてきた主人公の自我のありようを冷静に描いて、正宗白鳥(まさむねはくちょう)に「一種の戦慄(せんりつ)を覚え」させた短編。この作で、翌年女流文学賞を受けた。以後、盛んな創作活動を始め、つねに第一線作家として活躍している。長編に『女坂』(1949~57。野間文芸賞受賞)、自伝的三部作の『朱を奪うもの』(1955~56)、『傷ある翼』(1960)、『虹(にじ)と修羅(しゅら)』(1965~67。谷崎潤一郎賞受賞)、『なまみこ物語』(1959~61、65。女流文学賞受賞)、三部作の『狐火』(1969)、『遊魂』(1970。日本文学大賞受賞)、『蛇の声』(1970)があり、短編に『妖(よう)』(1956)、『二世の縁拾遺』(1957)ほか多数がある。平安・江戸文学の造詣(ぞうけい)深く、作品は女の情念と自我の相対化に優れていずれも観念性が強い。ことに抑圧された女の自我を、夢幻美、官能美の世界に表現することにおいて卓抜している。網膜剥離(はくり)の手術を受けながら『円地文子訳源氏物語』10巻も刊行した(1972~73)。日本芸術院会員。文化功労者。文化勲章受章。昭和61年11月14日没。
[竹西寛子]
『『円地文子全集』全16巻(1977~78・新潮社)』
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円地 文子
エンチ フミコ
昭和期の小説家
- 生年
- 明治38(1905)年10月2日
- 没年
- 昭和61(1986)年11月14日
- 出生地
- 東京市浅草区向柳原町(現・東京都台東区)
- 本名
- 円地 富美(エンチ フミ)
- 学歴〔年〕
- 日本女子大学附属高女〔大正11年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 女流文学者賞(第6回)〔昭和29年〕「ひもじい月日」,野間文芸賞(第10回)〔昭和32年〕「女坂」,女流文学賞(第5回)〔昭和41年〕「なまみこ物語」,谷崎潤一郎賞(第5回)〔昭和44年〕「朱を奪ふもの」「傷ある翼」「虹と修羅」,日本文学大賞(第4回)〔昭和47年〕「遊魂」,文化功労者〔昭和54年〕,文化勲章〔昭和60年〕
- 経歴
- 国語学者上田万年の娘。大正15年雑誌「歌舞伎」に戯曲「ふるさと」が当選。昭和3年「女人芸術」掲載の「晩春騒夜」が築地小劇場で上演され好評。5年結婚、戦中は武田麟太郎らとも接触するが、病気、被災で不遇な時代長く、小説家として認められたのは、49歳の春「ひもじい月日」(29年女流文学者会賞)であった。さらに「なまみこ物語」(41年女流文学賞)は円地文学の一つの達成を示したもの。42年から「源氏物語」の現代語訳に着手、病を得ながらも全10巻を完訳。知的作風と女の妖を描くことで定評がある。作品はほかに「朱を奪うもの」「遊魂」(47年日本文学大賞)「食卓のない家」など。60年文化勲章受章。
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円地文子
えんちふみこ
[生]1905.10.2. 東京
[没]1986.11.14. 東京
小説家,劇作家。本名,富美。日本女子大学付属高等女学校中退。国語学者上田万年 (かずとし) の次女として生れ,幼時から古典に親しみ,ことに江戸時代後期の退廃的な耽美文芸の影響を受けた。 1930年結婚。 26年戯曲『ふるさと』が雑誌『歌舞伎』の懸賞に当選,女流劇作家として活動を始めたが,のち小説に転じ,「家」や夫のために忍従の生涯を強いられた女の怨念と悲しみを描いた『女坂』 (1949~57) ,『ひもじい月日』 (53) ,自伝的長編『朱 (あけ) を奪ふもの』 (60) ,『傷ある翼』 (60) ,古典的教養を駆使して「憑霊 (つきりょう) 」の女を独創した『なまみこ物語』 (59~61) などの作品で数々の文学賞を受けた。 70年芸術院会員。 67~73年『円地文子訳源氏物語』を完成。 79年文化功労者。 85年文化勲章受章。
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円地文子【えんちふみこ】
小説家,劇作家。本名富美。東京生れ。父は国語学者上田万年(かずとし)。1922年日本女子大付属高等女学校中退。早くから古典にしたしみ,初め戯曲を発表,築地小劇場など左翼演劇に接近。のち小説に転じた。第2次大戦後《ひもじい日々》《朱を奪うもの》《女坂》などの作品で独特の妖艶な世界を描き,高く評価された。また《源氏物語》の現代語訳10巻を完成。《円地文子全集》15巻がある。1985年文化勲章。
→関連項目長谷川時雨
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円地文子 えんち-ふみこ
1905-1986 昭和時代の小説家。
明治38年10月2日生まれ。上田万年(かずとし)の次女。昭和28年「ひもじい月日」で才能を開花させ,女の業,怨念を官能美の中にえがく。32年「女坂」で野間文芸賞。44年「虹と修羅」ほかの長編3部作で谷崎潤一郎賞。芸術院会員。60年文化勲章。昭和61年11月14日死去。81歳。東京出身。日本女子大付属高女中退。本名は富美。著作に「源氏物語」現代語訳など。
【格言など】登らなければ,登りつづけなければ,決して坂の上へは出られないのだ(「女坂」)
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円地 文子 (えんち ふみこ)
生年月日:1905年10月2日
昭和時代の小説家
1986年没
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