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円観 えんかん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

円観 えんかん

1281-1356 鎌倉-南北朝時代の僧。
弘安(こうあん)4年閏(うるう)7月14日生まれ。天台宗。比叡(ひえい)山の興円に師事し,円頓(えんどん)戒を再興。嘉暦(かりゃく)元年法勝寺修造大勧進。後醍醐(ごだいご)天皇の討幕計画にくわわり,陸奥(むつ)白河(福島県)へ流される。のち京都にもどり,足利尊氏の帰依(きえ)をうけた。文和(ぶんな)5=正平(しょうへい)11年3月1日死去。76歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。字(あざな)は恵鎮。号は五朝国師。諡号(しごう)は慈威和尚

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朝日日本歴史人物事典の解説

円観

没年:延文1/正平11.3.1(1356.4.2)
生年:弘安4(1281)
鎌倉末期・南北朝時代の天台宗の僧。字は恵鎮。近江国(滋賀県)生まれ。15歳で比叡山に登り,18歳で興円より天台の円頓戒の正統を継承し,嘉暦1(1326)年,京都岡崎の法勝寺を復興して円頓戒弘通の道場とした。このころ,後醍醐天皇の帰依を得て戒師となり,その命で文観らと鎌倉幕府北条高時調伏の祈祷を行ったが,元弘1(1331)年5月に発覚して幕府に捕らえられた(元弘の乱)。幕府は比叡山の蜂起を恐れ,円観の遠流一等を減じて陸奥国白河荘(福島県)の結城宗広に身柄を預けた。同3年の鎌倉幕府の滅亡によって京都に帰り,法勝寺に住むとともに後醍醐の推挙で東大寺大勧進となったが,その費用の年貢を淀津より京都に運び去り,横領したとして東大寺衆徒から非難を浴びた。建武2(1335)年には後醍醐の命で鎌倉の北条高時の館跡に宝戒寺を建てた。足利尊氏が後醍醐と対立して室町幕府を開いてからは,北朝・室町幕府方の僧として活躍し,観応2/正平6(1351)年から文和1/正平7年,南北両朝の和議のため行動したりした。<参考文献>辻善之助『日本仏教史 4巻中世篇』

(細川涼一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

えんかん【円観】

1281‐1356(弘安4‐正平11∥延文1)
鎌倉末・南北朝時代の僧。字は慧鎮。近江国に生まれ,比叡山に入って興円に円戒(天台宗の戒)を学び,澄豪に穴太流の台密を受けた。諸寺を巡ったのち比叡山に帰り,1317年(文保1)興円の寂後,円戒の宣揚につとめた。後伏見上皇の帰依を受け,北白川に律院を開き(のちに元応寺),ついで後醍醐天皇に重んぜられて法勝寺,元応寺の住持となり,天台僧の中心として活動した。天皇の命を受けて,文観,忠円らとともに北条氏を呪詛したが,31年(元弘1)事が発覚して捕らえられ,陸奥に流罪にされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

円観
えんかん
(1281―1356)

天台宗の僧。諱(いみな)を慧鎮(えちん)、勅賜号を慈威(じい)という。近江(おうみ)(滋賀県)に生まれる。15歳で比叡(ひえい)山に入り、登壇受戒、18歳のとき初めて伝信興円(でんしんこうえん)の談義を聴聞する。その後遁世行道(とんぜいぎょうどう)を志し、一時は禅門をくぐるが、1305年(嘉元3)ふたたび叡山に帰り、師興円とともに廃絶に瀕(ひん)していた円戒の再興を図り、師の寂後もっぱらその宣揚に努める。元応寺(げんおうじ)を創(はじ)め、法勝(ほっしょう)寺修造大勧進となる。後醍醐(ごだいご)天皇の討幕計画に参画、31年(元弘1)文観(もんかん)らとともに北条氏を呪咀(じゅそ)、そのために六波羅(ろくはら)に捕らえられ、陸奥(むつ)に流された。建武(けんむ)政権の成立とともに帰京。足利尊氏(あしかがたかうじ)の帰依を受け、34年(建武1)鎌倉宝戒(ほうかい)寺開山となる。尊氏と後醍醐天皇が離反してからは、北朝方と結んで活動するが、南朝方からも信任を得、しばしば両朝の間を斡旋(あっせん)した。後伏見(ごふしみ)、花園(はなぞの)、後醍醐、光明(こうみょう)、光厳(こうごん)天皇の戒師となったと伝える。弟子に光宗(こうそう)、惟賢(いけん)らがあり、円戒に関する多くの著述を遺(のこ)した。[田中博美]

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世界大百科事典内の円観の言及

【元弘の乱】より

…しかし天皇の討幕の決意は固く,政権の奪回に懸命な持明院側から26年(嘉暦1)に病没した邦良皇太子のあとに量仁(かずひと)親王(後伏見上皇の皇子)が立つに及んで,再度の討幕計画が具体化した。天皇は意欲的に施政につとめ政権担当者としての権力を強化する一方,尊雲法親王(護良親王)を天台座主に据えたり,聖尋僧正や円観を重用することなどによって天台・真言両宗系の僧兵を掌握することにつとめた。たびたびの南都北嶺への行幸も同じ目的のためである。…

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