別源円旨(読み)べつげん・えんし

朝日日本歴史人物事典 「別源円旨」の解説

別源円旨

没年貞治3/正平19.10.10(1364.11.4)
生年永仁2.10.24(1294.11.13)
鎌倉後期・南北朝時代曹洞宗禅僧。別号は縦性。越前(福井県)の平氏(合志氏とも)の出身。幼くして出家し,鎌倉円覚寺の来日僧で中国曹洞宗宏智派の禅を伝える東明慧日に参じて曹洞宗旨を学んだ。元応2(1320)年に入元,古林清茂,雲外雲岫,中峰明本 らに参学し,元徳2(1330)年に帰国した。康永1/興国3(1342)年に朝倉広景の招きで越前足羽の弘祥寺を開き,また肥後(熊本県)寿勝寺にも住した。さらに京都の真如寺に移り,足利義詮 に請われて東山建仁寺に住した。在元中の『南遊集』と帰国後の『東帰集』の詩文集を残し,五山の詩僧としても名高い。<参考文献>玉村竹二『五山禅僧伝記集成』,『五山文学全集』1巻

(佐藤秀孝)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「別源円旨」の解説

別源円旨 べつげん-えんし

1294-1364 鎌倉-南北朝時代の僧。
永仁(えいにん)2年10月24日生まれ。曹洞(そうとう)宗。鎌倉円覚寺の東明慧日(とうみょう-えにち)にまなび,その法をつぐ。元応2年元(げん)(中国)にわたり,元徳2年帰国。故郷越前(えちぜん)(福井県)に弘祥(こうしょう)寺を創建,京都真如(しんにょ)寺などをへて,京都建仁(けんにん)寺の住持となる。五山文学者としても著名。貞治(じょうじ)3=正平(しょうへい)19年10月10日死去。71歳。俗姓は平(たいら)。別号に縦性。詩文集に「南遊集」「東帰集」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「別源円旨」の意味・わかりやすい解説

別源円旨
べつげんえんし

[生]永仁2(1294).10. 越前
[没]貞治3(1364).10.10. 京都
鎌倉時代の臨済宗の僧。幼少のとき出家。円覚寺の東明慧日に師事したのち,求道のために諸国の寺を遊歴。越前弘祥寺の開山となり,足利義詮の招請によって建仁寺の住職となった。著書『南遊集』『東帰集』。

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367日誕生日大事典 「別源円旨」の解説

別源円旨 (べつげんえんし)

生年月日:1294年10月24日
鎌倉時代後期;南北朝時代の曹洞宗の禅僧
1364年没

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