中国,中唐の詩人。字は夢得。洛陽(河南省)の人。はじめ淮南(わいなん)節度使(安徽・江蘇省の地方長官)の幕僚となったが,のちに中央政府の正規の官職である監察御史となり,柳宗元などと同じく,当時権勢を誇った王叔文(753-806)の一派に属して,将来の宰相と目された。しかし,王叔文が失脚すると,連座して朗州(湖南省)の司馬に左遷された。朗州では民謡の歌詞の改作を盛んに行い,〈竹枝詞(ちくしし)〉などがその地で広く歌われた。10年後,許されて都に帰ったが,そのときの詩が権力者の怒りにふれ,ただちに地方官に転出させられ,以後何度も中央と地方の官を往復する。自己の才をたのみ,狭量であったためと正史ではいう。晩年は白居易と親交を結び,しきりに詩を唱和し,白居易はその詩才を高く評価して〈詩豪〉と呼んだ。〈西塞懐古〉〈金陵五題〉などが代表作として知られる。近来,進歩的思想家としての一面も注目されている。《劉夢得文集》30巻,《外集》10巻が伝わる。
執筆者:荒井 健
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中国、中唐期の詩人。字(あざな)は夢得(ぼうとく)。漢の中山(河北省)靖王(せいおう)劉勝の子孫と自称しているが、匈奴(きょうど)族の末裔(まつえい)。祖先は北魏(ほくぎ)のとき、洛陽(らくよう)に移り住んだ。出生地は呉郡(ごぐん)(江蘇(こうそ)省)。柳宗元(りゅうそうげん)と同じく793年(貞元9)の進士。革進派の王叔文(しゅくぶん)の党に加わり、連座。805年(永貞1)9月、連州(広東省)刺史(しし)に貶(おと)され、10月、朗州(湖南省)司馬に改められた。検校礼部尚書、太子賓客(ひんかく)となって洛陽に出向し、72歳で没した。晩年、白居易と詩を唱和応酬した。中国文学史上、民間で歌われていた「竹枝詞(ちくしし)」「楊柳枝詞(ようりゅうしし)」などを文学作品として洗練したことで知られる。さりげない表現のなかに深い含意を込めた作風に特色がある。『劉賓客文集』30巻、『外集』10巻がある。
[丸山 茂]
『高木正一著『新訂中国古典選15 唐詩選 下』(1966・朝日新聞社)』
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