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勅選議員 チョクセンギイン

デジタル大辞泉の解説

ちょくせん‐ぎいん〔‐ギヰン〕【勅選議員】

明治憲法下の貴族院議員の一。国家に勲功があり、または学識ある満30歳以上の男子で、特に任された者。任期終身

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょくせんぎいん【勅選議員】

1889年貴族院令の規定にもとづき勅任された貴族院議員。満30歳以上の男子で国家に勲功ある者もしくは学識経験者の中から,政府の推薦にもとづき天皇が任命する終身議員で,多額納税議員との合計が有爵議員の総数を超えない範囲で任命された。その後,貴族院令改正で,1905年には125名以内と規定され,帝国学士院会員の互選による4名の勅選議員が別枠となった。元老山県有朋の生存中は,貴族院内における山県閥の拠点であったが,政友会も自派の勅選議員を集めて交友俱楽部を結成した。

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大辞林 第三版の解説

ちょくせんぎいん【勅選議員】

旧憲法下、満三〇歳以上の男子で国家に勲功がある者もしくは学識ある者の中から勅任された貴族院議員。任期は終身。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勅選議員
ちょくせんぎいん

帝国議会の貴族院を構成する議員制度の一種。1889年(明治22)2月11日公布の貴族院令で規定された。「国家ニ勲労アリ又ハ学識アル」「満30歳以上ノ男子」のなかから勅任された議員で任期は終身とした。翌年の9、10月に勅任された議員の多くは官僚で、そのほかに若干の学者と財界代表が選ばれた。貴族院内ではもっとも積極的な分子として各会派に分散して活躍したが、明治時代には茶話会、無所属派に比較的多く、大正時代には交友倶楽部(くらぶ)にも多く所属した。1905年(明治38)の改正で、その総数は125人を超えないものとされた。日露戦争の前後には山県有朋(やまがたありとも)系の官僚や軍人の選任が目だったが、明治末年以降からは政党の長老も勅任されるようになり、政党内閣の時代に入ると内閣総辞職の前に与党色の強い官僚や政党員を勅任するという悪慣習を生んだ。25年(大正14)の改正で、身体、精神の衰弱で職務に堪えられない者は勅裁によって辞任できることになり、また昭和に入って実業家代表が比較的多く勅任されたが、官僚優位の大勢は変わらなかった。45年(昭和20)4月貴族院令が改正され、朝鮮・台湾の代表として10名が任命され、8月15日付で勅任されたのが勅選議員選任の最後となった。第二次世界大戦敗戦後は、戦犯指名や公職追放など種々の事情から辞任する者が少なくなかった。[宇野俊一]

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世界大百科事典内の勅選議員の言及

【帝国議会】より

…また,議会の開会,閉会,停会などは天皇大権に属し,さらに特定案件の下では緊急勅令を制定し,大権事項にもとづく歳出項目について政府の同意なしに議会が廃除・削減することはできず,議会が予算案を否決した場合に,政府は前年度予算を施行できることなどが憲法に規定されており,議会独自の権能である立法権,予算審議権を大きく制約するものであった。貴族院は,皇族・華族議員と勅任議員からなるが,勅任議員は国家に勲労あり学識ある者という規準で官僚,軍人,財界人などから勅任したいわゆる勅選議員と,各府県の多額納税者上位15人から1人を互選する多額納税議員とに区分される。さらに衆議院は,当初直接国税15円以上を納付する満25歳以上の男子を有権者とする制限選挙で,それ以後,衆議院議員選挙法を2度改正して選挙資格が緩和され,1925年に男子のみの普通選挙制に移行した。…

※「勅選議員」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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