鎌倉後期の公家,権中納言藤原兼仲の日記。その居処によって家名を勘解由小路(かげゆのこうじ)と称したので名づけられた。別に《兼仲卿記》《兼仲記》《勘解由小路中納言記》ともいう。1268年(文永5)から1300年(正安2)までの鎌倉後期の代表的な公家日記である。現存するものは文永6-11年,弘安8年-正応3年,永仁3年-正安1年を欠く。写本によって冊数は一定しないが,東洋文庫本が最もよい。《史料大成》に九条家本を底本として収載されている。勘解由小路家は藤原北家内麻呂流の日野家の支族で,兼仲の父経光は《民経記》の著者。兼仲は蔵人・弁官として朝廷の文書の出納をつかさどったので,大覚寺・持明院両統の対立,朝廷と幕府の交渉,南都・北嶺の強訴,徳政などの朝廷の政治改革等について,正確で重要な記事を残している。とくに弘安の役については,本書の記事が最も重視される。その紙背文書も重要なものが多い。
執筆者:小田 雄三
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『兼仲卿記(かねなかきょうき)』ともいう。中納言(ちゅうなごん)勘解由小路(かでのこうじ)(藤原)兼仲(1244―1308)の日記。日記名は、家名と記主名から1字ずつとって後人が名づけたもの。日記の範囲は1268年(文永5)から1300年(正安2)までで、中間に散逸した部分も多い。兼仲は、朝廷の文書を取り扱う弁官(べんかん)や蔵人(くろうど)などを歴任しているため、当時の事件に関する記事を載せている。蒙古(もうこ)襲来、鎌倉将軍の廃立、大覚寺(だいかくじ)・持明院(じみょういん)両統の対立などに関する記事は有名である。自筆本が東洋文庫に現存する。『史料大成』所収。なお自筆本には紙背文書があり、『鎌倉遺文』に収められている。父の経光(つねみつ)にも『民経記(みんけいき)』(別名『経光卿記』)がある。
[益田 宗]
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