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勘仲記 かんちゅうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勘仲記
かんちゅうき

鎌倉時代後期の公卿藤原兼仲の日記。建治1 (1275) ~永仁2 (94) 年のものが現存。欠けている部分もある。兼仲は祖父以来京都の勘解由小路 (かでのこうじ) に住み,この地名を氏の号としていたので,後人が,その「勘」と名の「仲」をとって記名とした。荘園所領関係をはじめ,元寇,大覚寺,持明院両統迭立などに関する記事に富み,政治史に関する好史料。『史料大成』所収。

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デジタル大辞泉の解説

かんちゅうき【勘仲記】

鎌倉時代の公卿、権中納言勘解由小路兼仲(かでのこうじかねなか)の日記。文永11年~正安2年(1274~1300)に至る記録。兼仲卿記。兼仲御記。

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百科事典マイペディアの解説

勘仲記【かんちゅうき】

鎌倉時代後期の公家である権中納言(ごんのちゅうなごん)藤原兼仲(かねなか)の日記。兼仲の家は,京都の居所によって家名を勘解由小路(かげゆのこうじ)(現在の京都市上京区にあたる)と称しており,これが書名の由来。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんちゅうき【勘仲記】

鎌倉後期の公家,権中納言藤原兼仲の日記。その居処によって家名を勘解由小路(かげゆのこうじ)と称したので名づけられた。別に《兼仲卿記》《兼仲記》《勘解由小路中納言記》ともいう。1268年(文永5)から1300年(正安2)までの鎌倉後期の代表的な公家日記である。現存するものは文永6‐11年,弘安8年‐正応3年,永仁3年‐正安1年を欠く。写本によって冊数は一定しないが,東洋文庫本が最もよい。《史料大成》に九条家本を底本として収載されている。

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大辞林 第三版の解説

かんちゅうき【勘仲記】

勘解由小路かでのこうじ(藤原)兼仲(1244~1308)の日記。1268年から1300年に至る。中間には欠けた部分が多い。弘安の役そのほかの政治動向について、正確で重要な記述が多い。兼仲卿記。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勘仲記
かんちゅうき

『兼仲卿記(かねなかきょうき)』ともいう。中納言(ちゅうなごん)勘解由小路(かでのこうじ)(藤原)兼仲(1244―1308)の日記。日記名は、家名と記主名から1字ずつとって後人が名づけたもの。日記の範囲は1268年(文永5)から1300年(正安2)までで、中間に散逸した部分も多い。兼仲は、朝廷の文書を取り扱う弁官(べんかん)や蔵人(くろうど)などを歴任しているため、当時の事件に関する記事を載せている。蒙古(もうこ)襲来、鎌倉将軍の廃立、大覚寺(だいかくじ)・持明院(じみょういん)両統の対立などに関する記事は有名である。自筆本が東洋文庫に現存する。『史料大成』所収。なお自筆本には紙背文書があり、『鎌倉遺文』に収められている。父の経光(つねみつ)にも『民経記(みんけいき)』(別名『経光卿記』)がある。[益田 宗]

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