勝手神社(読み)かつてじんじや

日本歴史地名大系 「勝手神社」の解説

勝手神社
かつてじんじや

[現在地名]吉野町大字吉野山

蔵王ざおう堂の南約五〇〇メートル、袖振そでふり山を背後にして鎮座する。祭神天忍穂耳あめのおしほみみ尊・大山祇おおやまつみ命・木花咲耶姫このはなさくやひめ命・久久廼智くくのち命など六神。「和州旧跡幽考」には愛鬘うけり命とある。吉野水分よしのみくまり神社に対して、山口神社ともいう。日雄寺継統記(桜本坊蔵)は孝安天皇六年創立と伝える。金峯山秘密伝(日本大蔵経)に「伝云、勝手大明神此多聞天王垂迹、此仏法護持大将、国家鎮守首鎮也」とあり、中世には蔵王権現とともに修験者の信仰が厚かった。「太平記」巻二六(吉野皇居炎上事)に、後村上天皇が「勝手ノ宮」の前で馬を下り「憑カヒ無ニ付テモ誓ヒテシ勝手ノ神ノ名コソ惜ケレ」の一首を残して高師直の軍を賀名生あのう(現奈良県西吉野村)に避けたとある。


勝手神社
かつてじんじや

[現在地名]左京区大原勝林院町

勝林しようりん院の東方山麓にある。三千さんぜん院・来迎らいこう院・勝林院などの魚山ぎよさんの守護神として大和吉野よしのの勝手神社を勧請したと伝え、祭神は勝手明神。社伝は大原に隠遁した融通念仏の創唱者良忍(一〇七三―一一三二)の勧請という。天和二年(一六八二)大原を訪ねた黒川道祐は「北肉魚山行記」でその起源を、来迎院南坊の開祖が「和州吉野山ヘ参詣、三月十一日勝手明神祭礼ヲ一見セリ、于時神輿辟易シ玉ヒ不進得、諸人怪ム所ニ、小童子ニ明神ノリ遷リ玉フ、南坊ハ聞ル声明ノ達人也、此音ヲ聞召タマハスハ神幸アルマシキトノ託宣ナリ、依之声明ヲ唱ルト神輿事故ナク進玉フ、コレヨリ山ニ帰リテ則勧請之、当時ノ鎮守トシケルトナン」と記す。


勝手神社
かつてじんじや

[現在地名]竜王町岡屋

岡屋おかや集落の中央にある。祭神は受鬘うけのり之神など。正和二年(一三一三)四月の勝手神社の定置札写に「岡屋」の名がみられる。応永七年(一四〇〇)八月二二日の棟札(社蔵)には「岡屋大明神」とあり、また近世には勝手大明神とも称された(輿地志略)。社伝によれば、草創は貞観元年(八五九)のことというが、年未詳の棟札写(社蔵)には「天平中ニ神紀与二つニわかれ祭礼村座東西初リ」とあって、奈良時代の創建を伝える。


勝手神社
かつてじんじや

[現在地名]伊賀町山畑

山畑やばた集落の西の入口子守こもりに鎮座。祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命ほか一〇柱。旧村社。「宗国史」に「子守勝手」とある神社で、古くは子守神社と称した。天文二三年(一五五四)の棟札が残っており、「奉上棟子守社但修理所也浄正坊宗慶御蔽御頂戴両地頭愈代」とある。「伊水温故」には「勝手明神 愛髪命ノ垂跡、亦一儀ニ勝手ハ吾勝尊、秘決ノ神也」と記す。明治四一年(一九〇八)山畑に散在する浅間せんげん神社・春日神社(境内社に津島・愛宕・事毘羅・稲荷の各社あり)日吉ひえ神社・稲荷神社を当社に合祀し、山畑全戸が氏子となった。


勝手神社
かつてじんじや

[現在地名]竜王町薬師

受鬘うけのり之神を祀る。推古天皇の頃に大和吉野よしのより竜王山南腹に勧請されたのが草創と伝える。文明一四年(一四八二)一二月二九日銘の鰐口には「医師社」とみえ、古くは医師大明神などと称され、また勝手大明神ともよばれた。永禄一一年(一五六八)九月一七日の兵火にかかり、七社御宝殿・拝殿・七間御供所・宝蔵鐘楼・如法経堂・庵室・薬師堂などをことごとく焼失、同年一二月二一日氏人・村人勧進により仮堂を再建している(「棟札」社蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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