10年近い滞在から帰国した大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)の談話を桂川甫周(かつらがわほしゅう)(国瑞(くにあきら))が蘭文(らんぶん)文献を参考に補注を加えながら本文11巻、付録1巻、付図2軸、地図10枚の大著にまとめ上げた、わが国最初のロシア誌。1794年(寛政6)8月完成。初めの4巻で、漂流から帰国までの経過と、経過した土地の風土や民族、ロシアに通商する諸国などを解説し、続く5巻で、ロシア皇帝世系から政治、経済、社会、文化の諸側面を解説し、巻10は物産誌、巻11は約1500語の露和小辞典とでもいうべきもの。付録はオランダ商館長ヘンミーの『ロシア略記』の甫周による邦訳である。光太夫が帰国後受けた町奉行(ぶぎょう)池田長恵(ながしげ)や目付(めつけ)中川忠英(ただてる)・間宮信好(まみやのぶよし)の訊問(じんもん)に対する答えを、篠本(ささもと)廉が筆録した『北槎異聞』に比べると、量的に3倍であるだけでなく、内容もはるかに詳しく深くなっている。光太夫は江戸の大商社の幹部としての高い知識水準によって、宰相ベスボロツコ、商務相ボロンツォフ、フランスの航海家レセップス、ロシア学士院会員ラクスマンなどロシア政財界の有力者や世界的な学者文化人の知遇を受けたので、通例の漂流者には及びもつかないほど広く深くロシア社会の奥深く入り込んで見聞を広めることができた。本書は、それをもっともよく反映した、近世日本の市民的知識人の傑作というべきものである。
[林 基]
『亀井高孝編『北槎聞略』(1966・吉川弘文館)』▽『大友喜作編『北槎異聞』(『北門叢書 第六冊』所収・1944・北光書房)』
江戸後期のロシア漂流記録。全12巻。著者は桂川甫周。1794年(寛政6)成稿。1792年ロシア使節ラクスマンが日本漂流民3名を連れて根室に来航した。彼らは伊勢の船乗りで,1782年(天明2)12月紀州藩の廻米を積んで江戸にむかう途中,嵐にあってロシア領に流され,ロシア人に救助された者たちで,船頭の大黒屋光太夫および磯吉と小市であった。彼らのうち小市は根室で死亡し,光太夫と磯吉は江戸に送られ,幕府の取調べをうけた。このとき,将軍の内命で官医桂川甫周が光太夫から事情を聴取し,さらに多数の資料を駆使して,これを補って著したのが本書である。本文は11巻で,3巻までが光太夫一行の漂流談,4巻以下は光太夫の見聞を基にロシアの地理,風俗,官制,宗教,産物,言語等について記す。付録1巻はオランダ文のロシア小誌を翻訳した《魯西亜(ロシア)略記》からなる。ほかに衣服図・器什図各1軸,地図10枚が付せられている。活字本に亀井高孝校訂《北槎聞略》がある。
執筆者:佐藤 昌介
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ロシアに関する江戸時代最初の漂流記。11巻・付録1巻。桂川甫周(ほしゅう)著。1794年(寛政6)成立。82年(天明2)に漂流してロシア領のアリューシャン列島アムチトカ島に漂着し,92年に送還された伊勢国白子の廻船神昌丸の船頭大黒屋光太夫の経験を記録したもの。近世の漂流民として西欧社会に接触した最初の事例で,光太夫自身の知性と桂川の学識によって,近世の外国に関する一流の著作となった。本書の体裁は以後の編纂物漂流記の標準になる。ロシアの風俗・言語,豊富な図などからなる。幕府直轄の秘本として一般には流布せず,亀井高孝の校訂(1937刊)によってはじめて普及した。「日本庶民生活史料集成」所収。
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…ロシアの接近とともにその関係の訳著も盛んになった。桂川甫周の《北槎聞略(ほくさぶんりやく)》(1794成立)や大槻玄沢の《環海異聞》(1807成立)は,漂流民の実地見聞を素材とした点で異例の専門海外地理書である。玄沢門下の山村才助は世界地理研究の代表者で,多数の蘭書を翻訳して《訂正増訳采覧異言》(1803成立)を著した。…
※「北槎聞略」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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