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北欧演劇 ほくおうえんげき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北欧演劇
ほくおうえんげき

北欧演劇の主流を長く占めていたのは,デンマークスウェーデンであったが,いずれもフランスやドイツの模倣にすぎなかった。西欧の影響を脱した独自の演劇の芽生えは,18世紀にデンマークで活躍した作家 L.ホルベアに始る。 19世紀中期になると,ノルウェーの H.イプセンと B.ビョルンソン,スウェーデンの A.ストリンドベリの3人の出現によって,北欧演劇は世界演劇史に重要な位置を占めるにいたった。峻厳な現実批判とその底にたたえた求道的な理想主義や神秘主義を包含する彼らの作品は,近代劇の基本的理念を指向するものとして,20世紀の演劇にも多くの影響を与えている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北欧演劇
ほくおうえんげき

北欧演劇の歴史は世界に誇りうる劇作家を3人生んでいる。デンマークのホルベア(1684―1754)、ノルウェーのイプセン(1828―1906)、スウェーデンのストリンドベリ(1849―1912)で、今日も北欧演劇はこれら3人の影のなかにあるといってよい。[毛利三彌]

ホルベア以前

ホルベア以前の北欧演劇は、1600年ごろまで続いた中世宗教劇にせよ、16世紀なかばから17世紀なかばの人文主義者による学校劇にせよ、またその後の宮廷祝祭劇にせよ、先進国の模倣の域を出なかった。民衆の芝居熱にはイギリス、ドイツの旅劇団がこたえていた。スウェーデンのクリスティーナ女王に招かれていた哲学者デカルトが、1649年に三十年戦争終結記念のバレエ劇『平和の誕生』を作曲したことは有名だが、宮廷人はフランス、ドイツの劇団を抱えたりもした。自国語による上演の気運が出てくるのは18世紀になってからのことである。[毛利三彌]

ホルベアの登場

まず1722年にデンマークのコペンハーゲンに国民劇場が開設された。そこに作品を提供したのが、啓蒙(けいもう)思想家の大学教授ホルベアであった。「北欧のモリエール」とよばれる彼は『丘のイェッペ』『エラスムス・モンターヌス』をはじめとした多様で一級の喜劇を三十数編書き、ドイツでもかなり上演されている。この国民劇場は財政難と首都大火のため閉鎖させられたが、その後王立劇場として再開し今日に至っている。[毛利三彌]

北欧演劇の隆盛

スウェーデンでは、18世紀なかばに、プロイセンから嫁いできた王女ウルリーカが、首都郊外のドロットニングスホルム離宮に劇場をつくり、多くの芸術家を集めて盛大な催しを楽しんだ(この劇場は20世紀になって塵芥(じんかい)に埋もれていたのを発見され、今日も使用されている)。自国語の演劇は1771年に即位したグスタフ3世によって推進される。王は自ら戯曲も書き、俳優の養成に尽力したが、1792年に暗殺され、スウェーデン演劇の成長は頓挫(とんざ)した。
 19世紀前半はデンマーク演劇の黄金時代だった。エーレンシュレーガー、ハイベアらのロマン主義作家に加えて、ハイベア夫人を筆頭とする名優が輩出してヨーロッパ最高の演劇をつくりあげていた。このハイベア夫人の舞台に、青年期のイプセンが深い印象を受けた。[毛利三彌]

近代演劇の始まりとイプセン

ノルウェーは、1814年にデンマークの属国たる地位を脱し、ようやく独自の文化を育成し始める。最初の常設劇場は1827年に開場したが、長くデンマーク演劇の模倣に甘んじていた。19世紀の後半になって、イプセンと、もう1人当時は高く評価されたビョルンソンが出るに及んで、ノルウェー演劇は一躍世界の注目の的となる。ビョルンソンは多方面に活躍した作家で、散文市民劇の試みも社会問題劇の制作もイプセンに先んじたが、近代劇の確立はイプセンの力によるものだった。しかし、『人形の家』『幽霊』『ヘッダ・ガブラー』などを書いたイプセンも、晩年は、隣国スウェーデンに現れたストリンドベリに追い上げられてくる。[毛利三彌]

ストリンドベリ

ストリンドベリはイプセンに劣らぬ過激な自然主義戯曲『父』『令嬢ジュリー』などを書いたが、19世紀末から20世紀初めにかけて『ダマスカスヘ』『夢の劇』などのまったく新しい形式の作品を生み出し、表現主義演劇の先駆けとされる。イプセンもビョルンソンも青年時代に劇場活動とかかわっていたが、ストリンドベリはむしろ晩年になって自らの「親和劇場」をつくり、自作品を集中的に上演させた。[毛利三彌]

20世紀の新しい波

20世紀前半の劇作家では、スウェーデンのラーゲルクビスト、デンマークのアベルとK・ムンク、ノルウェーのN・グリーグがもっとも高く評価される。いずれも反ナチスの姿勢を貫いた。しかし現代の北欧演劇は、イプセン、ストリンドベリの新演出に支えられているといっても過言ではない。第二次世界大戦前のスウェーデンにはP・リンドベリPer Lindberg(1890―1944)やO・モーランデルOlof Molander(1892―1966)が出て革命的な演出をみせ、戦後もA・シェーベリAlf Sjberg(1903―80)やI・ベルイマンらが引き継いで北欧演劇を主導してきた。[毛利三彌]

フィンランドとアイスランド

なお、これら三国とともに北欧を構成するフィンランドとアイスランドにも触れると、フィンランド演劇は、19世紀後半のキビィ、女流イプセンとよばれるカント夫人に始まるといってよいが、スウェーデン語による上演を旨とする劇場の存在や、内乱後の政治状況を反映する複雑な演劇様相をむしろ福となして、今日では北欧の最先端にたつ水準をもつようになってきた。数千といわれる素人(しろうと)劇団の活動も世界的に有名である。
 アイスランドでは1897年に最初の劇場がつくられたが、いまは人口約10万の首都レイキャビークに二つの劇場がある。ノーベル賞作家ラクスネスにも劇作があり、演劇の盛んなことは他の北欧諸国に引けをとらない。[毛利三彌]

福祉社会と演劇

今日北欧が腐心するもっとも重要な演劇問題は、福祉社会における演劇の役割である。北欧では公立劇場のみならずほとんどの演劇活動が公的な財政援助を受けているが、巡回専門の国立劇団や地方に拠点をもつ劇場をつくって、辺境の地にまで演劇受容の機会を与えようとしている。小さな演劇グループが工場、刑務所、学校などを回ることも一般的である。劇作でも福祉社会の矛盾をつく作品が少なくなく、早くは、スウェーデンのイェーテボリ市立劇場の若い演劇人が集団創作した『筏(いかだ)』(1967)以下の一連の劇が北欧中で注目を浴び、1980年代以降は豊かな社会における人間関係、家族関係の深層をえぐる作品で、かつてのストリンドベリにも比せられているスウェーデンのL・ノレーンLars Norn(1944― )が有名である。デンマークの地方都市に根拠地を置く演劇実験所「オーディン劇場」(ユージェニオ・バルバ主宰)は新しい演劇人類学の研究、実践活動で国際的にも知られる。[毛利三彌]
『毛利三彌著『北欧演劇論』(1980・東海大学出版会)』

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