スウェーデンの映画監督、演出家。7月14日ウプサラに生まれる。父はルーテル派教会の牧師。幼時から演劇に熱中し、とくに『夢幻劇』『令嬢ジュリー』などのストリンドベリに傾倒した。1944年ストックホルム大学を中退、26歳で本格的に映画と演劇の活動を始める。映画は『もだえ』(1944)の脚本執筆、演劇はヘルシングボリ市立劇場での演出であった。映画監督第一作『危機』(1946)は、娘が母の若い愛人と関係するメロドラマである。『愛欲の港』(1948)は、海を捨てた船員と感化院出の娘の出会いをドキュメンタリー的要素を巧みに取り入れて描いた。この作風は後年の作品にも生きている。『不良少女モニカ』(1952)、『道化師の夜』(1953)、『愛のレッスン』(1954)などを経て、『夏の夜は三たび微笑(ほほえ)む』(1955)はボードビル喜劇として成功した。続く『第七の封印』『野いちご』(ともに1957)、『処女の泉』(1960)は、ベルイマンの名を世界的にした傑作である。『第七の封印』は中世の宗教画にヒントを得て描かれた生と死の異教的絵巻であるが、この系譜は後の「神の沈黙三部作」といわれる『鏡の中にある如(ごと)く』(1961)、『冬の光』『沈黙』(ともに1963)に受け継がれ、神を求めて苦悩する人間を描き、神の沈黙に迫る主題で一貫している。形式的にはストリンドベリの戯曲形式の室内劇(カンマルスペル)の名をとり、「カンマルスペル三部作」といわれる。『仮面/ペルソナ』(1966)、『狼(おおかみ)の時刻』(1968)、『受難』(1969)では神の不在は視界外に去り、人間とは何かを究極まで追求した。ほかにドキュメンタリー『フォール島の記録』(1969、1979)がある。
1970年代に入ると、テレビ作品を本格的に手がけるようになり、舞台演出もストリンドベリ作品に集中度が高くなる。『魔笛』(1975)ではモーツァルトの歌劇をテレビ・フィルム化した。『鏡の中の女』(1975)ではリブ・ウルマンLiv Ullmann(1939― )を主役に、『秋のソナタ』(1978)ではイングリッド・バーグマンを主役に、女性のなかに人間の存在証明を描く色彩が濃くなる。離婚を軸に夫婦の愛憎を描いた『ある結婚の風景』(1973)は、初め6話5時間のテレビ映画として製作され、のちに劇場映画となった。自己の体験を極限まで突き放して描いた自伝的作品の『ファニーとアレクサンデル』(1982)も、テレビと映画で放映・公開された。『リハーサルの後で』(1984)は舞台演出家を主人公に男女の官能の世界を取り上げた。約20年ぶりの作品となった『サラバンド』(2003)は『ある結婚の風景』の続編にあたり、自らこれを「遺作」とよんだ。ベルイマンの映像世界の魅力は、神と悪魔、愛と憎、生と死の人間的葛藤(かっとう)を演劇的演出とドキュメンタリーの融合体として提示する点にある。
[鳥山 拡]
危機 Kris(1946)
われらの恋に雨が降る Det regnar på vår kärlek(1946)
インド行きの船 Skepp till India land(1947)
エヴァ Eva(1948)
闇の中の音楽 Musik i mörker(1948)
愛欲の港 Hamnstad(1948)
牢獄 Fängelse(1949)
渇望 Törst(1949)
歓喜に向って Till glädje(1950)
それはここでは起こらない Sånt händer inte här(1950)
夏の遊び Sommarlek(1951)
シークレット・オブ・ウーマン Kvinnors väntan(1952)
不良少女モニカ Sommaren med Monika(1952)
道化師の夜 Gycklarnas afton(1953)
愛のレッスン En lektion i kärlek(1954)
女たちの夢 Kvinnodröm(1955)
夏の夜は三たび微笑む Sommarnattens leende(1955)
第七の封印 Det Sjunde inseglet(1957)
野いちご Smultronstället(1957)
女はそれを待っている Nära livet(1958)
魔術師 Ansiktet(1958)
処女の泉 Jungfrukällan(1960)
悪魔の眼 Djävulens öga(1960)
鏡の中にある如く Såsom i en spegel(1961)
冬の光 Nattvardsgästerna(1963)
沈黙 Tystnaden(1963)
この女たちのすべてを語らないために För att inte tala om alla dessa kvinnor(1964)
仮面/ペルソナ Persona(1966)
ダニエル Stimulantia - Daniel(1967)
狼の時刻 Vargtimmen(1968)
恥 Skammen(1968)
夜の儀式 Riten(1969)
受難 En passion(1969)
フォール島の記録 Fårö dokumentt(1969)
愛のさすらい Beröringen(1971)
叫びとささやき Viskningar och rop(1972)
ある結婚の風景 Scener ur ett äktenskap(1973)
魔笛 Trollflöjten(1975)
鏡の中の女 Ansikte mot ansikte(1975)
蛇の卵 The Serpent's Egg(1977)
秋のソナタ Höstsonaten(1978)
フォール島の記録1979 Fårö dokumentt 1979(1979)
夢の中の人生 Aus dem Leben der Marionetten(1980)
ファニーとアレクサンデル Fanny och Alexander(1982)
リハーサルの後で Efter repetitionen(1984)
ベルイマンの世界 ドキュメント「ファニーとアレクサンデル」 Dokument Fanny och Alexander(1985)
サラバンド Saraband(2003)
『ジャック・シクリエ著、浅沼圭司訳『ベルイマンの世界』(1968・竹内書店)』▽『三木宮彦著『ベルイマンを読む』(1986・フィルムアート社)』▽『ウィリアム・ジョーンズ編、三木宮彦訳『ベルイマンは語る』(1990・青土社)』▽『小松弘著『Century books 人と思想 166 ベルイマン』(2000・清水書院)』▽『Egil TornqvistBetween stage and screen : Ingmar Bergman Directs(1995, Amsterdam University Press)』
スウェーデンの作家。風変わりな人物、みごとな着想、巧妙な話術で人気をかちえた。戯曲『イエスの母マリア』(1905)、歴史小説『サボナローラ』(1909)ののち、『バードチョーピングのマルクレル家の人々』(1919)で作家の地位を確立。戯曲はしばしば上演の機会に恵まれる。エンターテイメント作家の彼に、『死者の手記』(1918)、『道化師ヤック』(1930)のように、まじめな人生探究、告白の書があることは見逃せない。円熟期の大半を海外で過ごしたことと、徹底したハリウッド嫌いは、彼の人生観と性癖の一端を物語る。
[田中三千夫]
スウェーデンの映画監督。スウェーデン読みではベリマン。舞台の演出家としても有名だが,スウェーデン映画の国際的名声を高めた第一人者であるのみならず,シェーストレーム,スティルレル以来の〈北欧の神秘主義〉を継承しつつ,神と人間という形而上的命題を映画的に形象した比類なき世界的巨匠として映画史にもっとも重要な地位を占める作家の一人である。ハリウッド製のエンタテインメントとは極端に対照的なその深刻で難解な〈芸術性〉のゆえに,アメリカでは〈1960年代のアート・ハウスの巨匠〉というレッテルもはられている。1960年代には,〈神の沈黙〉三部作とよばれる《鏡の中にある如く》(1961),《冬の光》《沈黙》(ともに1963)を中心にしたベルイマン映画が世界のアート・シアター(アメリカではアート・ハウス)を独占するほどの流行になった。
牧師の子に生まれ,学生時代から演劇活動を始め,脚本家として映画界入り。44年,自作のシナリオがアルフ・シェーベルイ監督によって映画化され,翌45年,《危機》で監督としてデビュー。《不良少女モニカ》(1952)で世界的に知られ,《夏の夜は三たび微笑む》(1955)で名声を決定的なものにする。以後,《第七の封印》《野いちご》(ともに1957),《処女の泉》(1960),《仮面/ペルソナ》(1966),《狼の時間》(1968),《夜の儀式》(1969)等々と次々に問題作を発表して〈アート・シアターの巨匠〉となるが,73年のカラー作品《叫びとささやき》が世界的にヒットして(アメリカでは怪奇映画の巨匠として知られるロジャー・コーマンの手で配給された),その〈芸術性〉にも興行価値が認められた。《沈黙》の姉妹を演じたイングリット・チューリンとグンネル・リンドブロムをはじめ,ハリエット・アンデルソン,ビビ・アンデルソン,リブ・ウルマンといった女優たちの〈肉体的演技〉に支えられたその大胆なエロティシズム,すさまじい性描写によっても,一時代を画した。
《ファニーとアレクサンデル》(1983)で引退を表明し,その後はテレビ映画《リハーサルのあとで》(1984)を撮っただけで,舞台の演出に挺身(ていしん)してきた。
執筆者:広岡 勉
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…50年代に入ってようやく,カンヌ映画祭で受賞した《令嬢ジュリー》(1951)のアルフ・シェーベルイと記録映画作家アルネ・スックスドルフ(《ジャングル・サガ》1954)がスウェーデン映画の存在をふたたび世界に知らしめた。続いて,シェーベルイ監督の《もだえ》(1944)のシナリオライターとしてデビューし,50年代半ばに《不良少女モニカ》《道化師の夜》(ともに1953),《夏の夜は三たび微笑む》(1955)などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが,スウェーデン映画の〈神秘主義〉を一身に背負って今日に至っている。ギリシア神話のダフネスとクロエの物語を〈純潔な官能美〉で満たした北欧版(サドゥールの評)アルネ・マットソン監督《春の悶え》(1951)の大ヒット以来,スウェーデン映画はセックスのはんらん時代を迎えるが(その頂点がビルゴット・シェーマン監督《私は好奇心の強い女》(1967)であった),ベルイマンはそうした流行とはまったくかかわりなく,《沈黙》(1963)に見られるようなセックスと神,すなわち肉欲と信仰の葛藤をテーマに映画をつくり続け,60年代末には〈ベルイマンの神秘主義〉に反発してフランスのヌーベル・バーグの感覚を意識的に採り入れ,〈抒情性と社会性をミックスした〉映画をめざした新鋭監督ボ・ウィデルベルグ(《みじかくも美しく燃え》1967,《ジョー・ヒル》1971)などの登場が注目されたものの,やはり,その豊饒(ほうじよう)な創作活動と息の長いキャリアで〈スウェーデン映画の巨匠〉ベルイマンの位置は不動のままである。…
※「ベルイマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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