南蛮屏風(読み)ナンバンビョウブ

デジタル大辞泉 「南蛮屏風」の意味・読み・例文・類語

なんばん‐びょうぶ〔‐ビヤウブ〕【南蛮×屏風】

桃山時代から江戸初期にかけて、ポルトガル人来航の様子風俗を描いた屏風主題異国的であるが、表現技法在来大和絵と変わらない。長崎屏風。

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精選版 日本国語大辞典 「南蛮屏風」の意味・読み・例文・類語

なんばん‐びょうぶ‥ビャウブ【南蛮屏風】

  1. 〘 名詞 〙 南蛮人渡来の光景や風俗を描いた屏風。主に江戸初期に制作された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南蛮屏風」の意味・わかりやすい解説

南蛮屏風
なんばんびょうぶ

近世初期風俗画の一主題。日本の港に来航したポルトガル船と乗組員たちの荷揚げ提督カピタン)の上陸場面を主要モチーフとして、珍奇文物舶載(はくさい)動物、出迎えの宣教師、修道士たちなどを描写し、金雲を配した装飾性の高い屏風で、南蛮人渡来図(なんばんじんとらいず)とも呼ばれる。左隻(させき)に入港、右隻に乗組員の行列という構成を定型とするが、左隻に空想的な異国風景を配する図柄もある。

 制作は16世紀末から17世紀後期頃までと推定され、作者としては狩野内膳(かのうないぜん)(1570―1616)をはじめ狩野光信(みつのぶ)(1561/1565―1608)、狩野山楽(さんらく)など桃山期の一級の狩野派絵師が想定されるほか、長谷川派、雲谷(うんこく)派などによっても描かれている。キリスト教の禁教後、鎖国体制確立後の制作では、南蛮風俗の写実味が薄れ、交易図の特徴が強調されている。

[岡 泰正]

『岡本良知・高見沢忠雄著『南蛮屏風』全2巻(1970・鹿島研究所出版会)』『坂本満・井出洋一郎他著『日本屏風絵集成15 南蛮風俗』(1979・講談社)』『坂本満編『南蛮屏風』(『日本の美術135』1975・至文堂)』『坂本満他編・著『南蛮屏風集成』(2008・中央公論美術社)』

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百科事典マイペディア 「南蛮屏風」の意味・わかりやすい解説

南蛮屏風【なんばんびょうぶ】

桃山〜江戸初期に盛行した風俗画の一ジャンルで,南蛮人とその風俗を主題とした屏風画のこと。南蛮船の外国出港と日本への入港の情景や南蛮人遊楽のさま等を描いたもので,技法的には同時期の他の風俗画と全く同じである。現在約60点の遺例が確認されている。
→関連項目南蛮船南蛮美術

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南蛮屏風」の解説

南蛮屏風
なんばんびょうぶ

16世紀後半~17世紀初期に来航した南蛮人の風俗を描いた屏風絵。現在六十数点の遺品が知られる。図様構成は,左隻に南蛮船の入港と荷揚げ・交易の風景,右隻に教会堂に向かうカピタンの一行と出迎えの宣教師を描く作例が多い。このほか上記の情景を右隻にひとまとめにし,左隻に異国における南蛮人の生活や南蛮船の出帆風景などを描くものもある。南蛮屏風の成立に関して,従来は画家が長崎で南蛮船の入港を実見して描いたと解説されてきたが,近年,室町時代の唐船・唐人行列図からの影響が指摘されている。狩野内膳をはじめ桃山時代の狩野派の画家も多く手がけている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南蛮屏風」の意味・わかりやすい解説

南蛮屏風
なんばんびょうぶ

南蛮人渡来屏風,長崎屏風,黒船屏風ともいう。安土桃山時代から江戸時代初期にかけてポルトガル人来航の情景を描いた風俗屏風。技法や様式は日本在来のものであるが,主題は当時の南蛮趣味の影響を色濃く受けている。南蛮屏風は日本および外国に 60点以上現存,そのほとんどが文禄,慶長~寛永期 (1592~1640) 頃に狩野派およびその流れをくむ町絵師の手で制作されたと推定される。

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