日本大百科全書(ニッポニカ) 「印象主義音楽」の意味・わかりやすい解説
印象主義音楽
いんしょうしゅぎおんがく
1890年代から1910年代のフランス音楽、とくにクロード・ドビュッシーの音楽様式をさす。絵画の分野で用いられていた「印象主義」の用語を音楽に適用した最初の例は、1887年12月31日付けのフランス・アカデミーの『官報』で、ドビュッシーがアカデミーに提出した交響組曲『春』について、次のように記されている。「ドビュッシー氏には、確かに平凡とか陳腐という欠点がない。氏はまったく反対に、珍奇なるものを求めるという極端な傾向にある。氏は音楽の色彩感覚を強調するあまり、しばしば、正確な形式やデッサンの重要さを忘れている。氏はこの漠然とした印象主義から身を守る必要がある。」
初め否定的な意味で使われていたこの用語は、20世紀に入ってから肯定的な意味で用いられるようになる。ドビュッシー自身も自作の管弦楽曲『夜想曲(ノクチュルヌ)』(1900初演。「雲」「祭り」「シレーヌ」の3部からなる)の解説文で、「ここで問題なのは、夜想曲という通常の形式ではなく、このことばに含まれている特殊な印象と光である」と述べている。印象主義の音楽は、雲、霧、水、波などの自然の流動的な情景を題材として、光と影の交錯する瞬間のイメージを、五音音階、教会旋法、全音音階、3連音符や5連音符のような非合理的なリズム、調性や機能和声から離れた響き、ピアニッシモを基本とするディナミーク、豊かで色彩的なオーケストレーション、テンポ・ルバートを多用する自在に変化するテンポなどによって表現した。ドビュッシーは初期の『牧神の午後への前奏曲』(1894)から晩年の『遊戯』(1913)まで、印象主義の作風によって作曲した。印象主義は、楽派として一派をなすには至らなかったが、デュカース、ルーセル、ラベル、ストラビンスキーら多くの作曲家に影響を与え、第二次世界大戦後は、ブーレーズやシュトックハウゼンも、前衛音楽の遠い出発点として、印象主義の音楽を評価している。
[船山 隆]