百科事典マイペディア 「デュカース」の意味・わかりやすい解説
デュカース
→関連項目アルベニス|バラード|ピストン|リパッティ|ロドリーゴ
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フランスの作曲家。デュカとも呼ぶ。パリ音楽院に学ぶ。ローマ大賞は逸したが,序曲《ポリュクト》(1891)によって作曲家として成功をおさめた。代表作としては,《交響曲ハ長調》(1896),交響的スケルツォ《魔法使いの弟子》(1897),《ピアノ・ソナタ》(1901),ピアノ曲《ラモーの主題による変奏曲,間奏曲と終曲》(1902),オペラ《アリアーヌと青ひげ》(1906),バレエ曲《ラ・ペリ》(1912)などがある。教育者としても,1910-13年パリ音楽院の管弦楽法教授,28-35年同音楽院作曲科教授などを歴任し,すぐれた弟子たちを育てた。34年にはアカデミー会員に選ばれている。学者肌で,完全主義者であった彼は,わずか十数曲の作品しか残さず,あとは未完成,あるいは破棄されてしまっている。作品数こそ少ないが,その堅固な構成法と豊かな和声や巧みな管弦楽法を駆使して,独自の作風を確立し,シェーンベルク,ストラビンスキーら数多くの作曲者たちに影響を与えた。
執筆者:寺田 兼文
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フランスの作曲家、音楽批評家、教育者で、フランス近代音楽の黄金期を代表する1人。パリに生まれ同地に没。1882年にパリ国立音楽院に入学、同級のドビュッシーと親友になるが、彼とは対照的な作風をもつ。すなわち、印象主義を開拓したドビュッシーとは異なり、デュカースはベートーベン、ワーグナー、フランク、ダンディらの豊かな管弦楽法と、18世紀のラモーの古典精神を継承している。前者の例にはゲーテの詩による交響的スケルツォ『魔法使いの弟子』(1897)、バレエ用の管弦楽曲『ラ・ペリ』(1910)があり、後者を代表する作品は『ラモーの主題による変奏曲・間奏曲・終曲』(1903)である。オペラ『アリアーヌと青ひげ』(1907初演)は、同じメーテルリンク原作のドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』と並ぶ傑作である。パリ国立音楽院、エコール・ノルマルで教え、批評家としても活躍、また『ラモー全集』などの編集にも携わった。
[船山信子]
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