ルーセル(その他表記)Raymond Roussel

精選版 日本国語大辞典 「ルーセル」の意味・読み・例文・類語

ルーセル

  1. ( Albert Charles Paul Marie Roussel アルベール=シャルル=ポール=マリー━ ) フランスの作曲家。パリでオルガン奏者ジグーやダンディに作曲を学び、特に対位法やインド旋法の採取に特色を示し、代表作「第三交響曲」(一九三〇)を書いた。他にバレエ音楽「蜘蛛の饗宴」。(一八六九‐一九三七

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改訂新版 世界大百科事典 「ルーセル」の意味・わかりやすい解説

ルーセル
Raymond Roussel
生没年:1877-1933

フランスの作家。豊かな上流階級に生まれ,19歳のとき処女作を執筆中に,自分は栄光に包まれているという異様な確信を得て以後,いかなる文学的動向からも絶縁した地点で,まったく自己流の文学制作に没頭した。文学作品は現実的要素をいささかも含まず,ひたすら想像力の展開において書かれるべきだと確信していた彼は,語の多義性や,綴り字ないし音声上のごくわずかな差異がもたらしうる意味の飛躍的変化などを手がかりにして物語を発展させていくという独自な方法に従って,途方もない時間をかけて,《アフリカの印象》(1909)や《ロクス・ソルス》(1914)などのふしぎな物語を書いた。しかし,ほとんど無視され,また,みずから出資してこの2作を脚色・上演したが,デュシャンブルトンら後のシュルレアリストたちに支持されはしたものの,上演それ自体は奇想天外な舞台をめぐる激烈なスキャンダルとして終わった。

 生活の面でも奇行が多く,旅行を好みながら特別あつらえのキャンピング・カーのなかでカーテンを下ろしたまま風景を見ずに読書にふけるというふうで,晩年は筆を絶ち,睡眠薬のなかに至福感を求めるほかは,もっぱらチェスに没頭した。彼の小説制作の秘密の一部分は,遺言のようにして残された《いかにして私はある本を書いたか》(1935)に明かされ,またデュシャンやM.レリスのように深い影響をうけた者もあったが,〈挿話におけるシュルレアリスト〉というブルトンの評語にも現れているように,表だった少数の支持者たちの理解も必ずしも核心をつくものではなく,一般的には長い間まったく忘れられていた。しかし,想像力と狂気が境を接し,言語をまぎれもなく〈物〉として扱ったその文学制作は,1950年代からロブ・グリエ,ビュトールら前衛的文学者たちのしだいに注目するところとなり,とくにM.フーコーが精密な作品読解をとおして狂気と言語の関係を探った卓抜な《レーモン・ルーセル》(1963)を発表して以来,重要な問題をはらんだ文学的一ケースとしてさまざまな研究がささげられるようになっている。
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ルーセル
Albert Roussel
生没年:1869-1937

フランスの作曲家。29歳でパリの音楽学校スコラ・カントルムに入り,ダンディに作曲を学んだ。音楽史的には,彼は,ドビュッシーやラベルと〈六人組〉とをつなぐ位置に立ち,堅固な構成に,インド旋法や対位法的書法,あるいは倚音(非和声音)を巧みに利用した独特な和声語法を旨とする作品を書いた。主要作品には,《第3番》(1930)をはじめとする交響曲4曲,《喚起》(1911)の交響詩,《蜘蛛の饗宴》(1912),《バッコスアリアドネ》(1930)などのバレエ曲,オペラ・バレエ《パドマーバティ》(1918),管弦楽のための《ヘ長の組曲》(1926),《弦楽四重奏曲》(1932)などの室内楽,《濡れた庭》(1903),《瀬戸に立つ心》(1934)などの歌曲,《詩篇第80編》(1928)などの合唱曲,《時は過ぎてゆく》(1898),《野趣》(1906)などのピアノ曲がある。
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百科事典マイペディア 「ルーセル」の意味・わかりやすい解説

ルーセル

フランスの作曲家。海軍兵学校を経て軍務に就いたのち,25歳で正式に音楽を学ぶ。1898年,29歳でパリのスコラ・カントルムに入学。ダンディに師事し,1902年−1914年には同校教授を務め,3歳年長のサティバレーズらに対位法を講じた。のちにはマルティヌーも教えている。ダンディやその師C.フランクの感化の強い初期作品を経て,バレエ音楽《蜘蛛(くも)の饗宴》(1912年)などで印象派風の筆致をみせたのち,1909年のインド,東南アジア各地への旅行を契機に作風を徐々に転換。多声書法と独自の和声語法を核に,躍動感みなぎる作風を確立した。以後の作品に,インド旋法を用いたオペラ・バレエ《マドマーバティ》(1918年),管弦楽のための《ヘ調の組曲》(1926年),合唱曲《詩篇第80番》(1928年),クーセビツキーの委嘱による《交響曲第3番》,バレエ音楽《バッコスとアリアドネ》(ともに1930年),《弦楽四重奏曲》(1932年),《交響曲第4番》(1934年),《弦楽三重奏曲》(1937年),多くの歌曲などがある。→フルニエ
→関連項目ディベルティメント

ルーセル

フランスの作家。パリの裕福な家庭に生まれる。コンセルバトアールのピアノ科に入学するが,詩をつくるために音楽を捨てる。《アフリカの印象》(1910年),《ロクス・ソルス》(1914年)はともに評価されなかったため舞台劇に書きかえられたものの不評に終わる。生前にはほとんど無名であり,作品の出版,上演はすべて自費によるものであった。想像力によって構築されたルーセルの作品は,言語に内在する可能性を執拗に追求し,《いかにして私は自分の本のいくつかを書いたか》(1935年)ではその創作方法を自ら明らかにした。ダダイスト,シュルレアリストまたヌーボー・ロマンの作家たちに多大な影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルーセル」の意味・わかりやすい解説

ルーセル(Raymond Roussel)
るーせる
Raymond Roussel
(1877―1933)

フランスの詩人、小説家。パリの裕福なブルジョア家庭に生まれる。初めピアノと作曲を志すが、17歳のときから詩に専心し、一時期「世界的名声」の強迫観念に襲われ、高名な心理学者で医学者ピエール・ジャネの治療を受ける。処女作の長編詩『替玉』(1897)は不評に終わり、うつ病状態に陥る。小説の代表作『アフリカの印象』Impressions d'Afrigue(1910)、『ロクス・ソルス』Locus Solus(1914)を自ら戯曲化、不評とスキャンダルでかえって有名になる。ほかに戯曲『額(ひたい)の星』(1924)、『太陽の埃(ほこり)』(1926)、長編詩『新・アフリカの印象』(1932)など。作品のいくつかは、きわめて特異な手法で書かれ、死後出版の『いかにして私はある種の本を書いたか』でそれを明らかにしている。言語と狂気とのかかわりの極限を示す彼の作品は、シュルレアリスム、ヌーボー・ロマンの一派から高く評価される。

豊崎光一

『ミシェル・フーコー著、豊崎光一訳『レーモン・ルーセル』(1975・法政大学出版局)』


ルーセル(Albert Roussel)
るーせる
Albert Roussel
(1869―1937)

フランスの作曲家。トゥールコアン生まれ。初め海軍士官としての生涯を歩み始めたが、1894年、軍職を去り、音楽家となる決心をする。オルガン奏者ジグー、ついでスコラ・カントルムでダンディに師事。1902~14年には母校で教鞭(きょうべん)をとり、門下にバレーズ、サティらがいる。ダンディや印象主義の影響下に作品を書き始めるが、やがて対位法的書法やインドの旋法などを巧みに利用した堅固な形式感と独特のリズム感にあふれた独自の新古典主義的作風を確立した。ロワイヤンに没。主要作品には、オペラ『パドマーバティ』(1918)、バレエ音楽『蜘蛛(くも)の饗宴(きょうえん)』(1912)、同『バッカスアリアーヌ』(1930)、同『エネアス』(1935)、四曲の交響曲、交響詩『喚起』(1911)、同『春の祭のために』(1920)、管弦楽曲『ヘ調の組曲』(1926)、同『小組曲』(1929)、弦楽オーケストラのための『シンフォニエッタ』(1934)、弦楽四重奏曲ニ長調(1932)、合唱曲『詩篇(しへん)第80編』(1928)などがある。

[寺田兼文]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルーセル」の意味・わかりやすい解説

ルーセル
Roussel, Raymond

[生]1877.1.20. パリ
[没]1933.7.14. パレルモ
フランスの小説家,劇作家。フランスきっての富豪の家に生れ,パリ音楽院に学ぶ。ベルヌを賛美し,ファンタジーとエキゾチシズムへの傾きをみせた。言葉の意味と音との間に介在するずれを利用し,純粋に言語上の操作によって驚異の世界を創造するという斬新な手法を追求,シュルレアリストの先駆者の一人に数えられる。不遇のうちに孤独な文学的実験に没頭,シチリア島で自殺した。主著,韻文小説『代役』 La Doublure (1897) ,小説『アフリカの印象』 Impressions d'Afrique (1910) ,『独白』 Locus solus (14) ,戯曲『額の星』L'Étoile au front (24) ,『太陽の埃』 La Poussière de soleils (26) ,エッセー『私はいかにして若干の作品を書いたか』 Comment j'ai écrit certains de mes livres (35) 。

ルーセル
Roussel, Albert (Charles Paul Marie)

[生]1869.4.5. トゥルコアン
[没]1937.8.23. ロアイヤン
フランスの作曲家。 18歳で海軍に入り,極東を航海し,25歳で退役。その後スコラ・カントールムで学び,V.ダンディに師事。 1902~14年同校の教授をつとめ E.サティ,E.バレーズら多くの弟子を育てた。世代的にはドビュッシーとラベルの中間であるが作風はやや保守的で晩年には新古典主義に近づいた。海軍時代の経験から得たエグゾチスム,リズムや拍節感の優位が特徴。主作品は大規模な合唱曲『喚起』 (1910~12) をはじめ交響曲4,交響詩『春の祭りに』 (21) ,オペラ『パドマーバティ』 (14~18,初演 23,パリ) ,バレエ音楽『蜘蛛の饗宴』 (12,初演 13) ,『ディオニュソスとアリアドネ』 (31) など。

ルーセル
Roussel, Ker Xavier

[生]1867.12.10. ロリレメッス
[没]1944.6.6. レタンラビュ
フランスの画家,版画家。アカデミー・ジュリアンで学んだ。ナビ派に属し,神話的主題の選択やその表現において独特な作品を生み出した。ビュイヤールとともに装飾画や舞台装飾にも従事。主要作品『パストラール』『海辺のビーナスとアモール』『ディアナ』。

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世界大百科事典(旧版)内のルーセルの言及

【フランス音楽】より

…彼の音楽は20世紀フランス音楽の最良のモデルの一つとなるにいたる。スコラ・カントルム出身のルーセルは,フランクとドビュッシーの影響を消化した上で,多声性とリズムの積極的主張に重点をおき,堅固な造形に力動感のみなぎる記念碑的な交響曲を残した。なおラベルにもルーセルにもバレエ音楽の秀作がある。…

※「ルーセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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