長歌の後に付された歌。例外的に旋頭歌(せどうか)形式のものもあるが,歌体は短歌形式で,その数は1首から数首に及ぶものもある。内容的には,長歌の末尾部をくり返すもの,主想部をまとめたものなどが古くは中心であったが,《万葉集》第2期の柿本人麻呂の時代から,主題や内容をあらたに展開させる新傾向の反歌がつくられるようになり,長歌からの独立性を強めていった。発生,成立に関しては諸説あって定説はないが,長歌の高調部が自然に口誦の段階でリフレーンされるといった自然発生的側面と,漢詩における〈反辞〉にならっての形式的整備を目ざした構成意識に拠る側面と,両面が合わさって反歌の成立がうながされたと見るのがよいようである。なお,長歌の中には反歌を持たないものもあり,長歌に付された歌に〈反歌〉ではなく〈短歌〉と記されている例もある。
執筆者:佐佐木 幸綱
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長歌のあとに付された短歌。『万葉集』では、旋頭歌(せどうか)の形のものが一首だけあるが、これを除いてみな短歌であり、その前に多く「反歌」と頭書する。その名称は中国の「反辞」に倣ったものかという。この反歌の様式を、長歌の最後の段落が、歌われるなかで分離独立することによって生じたとする見方も有力であるが、そのような歌謡的生成とは認めがたい。『万葉集』の長歌を通じてみれば、反歌をもつことの確実なのは額田王(ぬかたのおおきみ)の歌(巻1、17、18歌)がもっとも早く、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)によって反歌を付す形が定着したと認められる。中国文学を媒介にして新しく生み出された様式であり、記載の次元で成立したとみるのが正しい。人麻呂は反歌を定着するとともに、長歌を反復・要約するようなありようから、独立的な内容を盛り込むものへと、その質をも大きく転換した。複数の反歌を付す形も人麻呂によって始められ、長歌と短歌との組合せによる構成体という方向へ展開された。
[神野志隆光]
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長歌の後に添えられた1首または数首の歌。長歌の主題を反復してまとめるもの,長歌の内容を補足するもの,長歌の内容を新しく展開させるものなどがある。上代歌謡には存在せず「万葉集」に始まるが,「万葉集」中,旋頭歌(せどうか)一例を除いてほかはすべて短歌形式に限られる。「万葉集」の長歌265首中220首は反歌をもち,45首は添えられていない。反歌様式の成立については諸説あるが,漢詩の反辞を擬したものとするのが穏当である。
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…ここで〈短歌〉と呼んでいるのは長歌のことであり,〈例の歌〉と呼んでいるのが5・7・5・7・7の〈短歌〉のことである。ちなみに《俊頼髄脳(としよりずいのう)》では,短歌を〈反歌〉〈例の歌〉〈例の三十一字の歌〉などと呼んでいる。こうなったのは,《古今集》巻十九の雑体部が,長歌の分類項目を〈短歌〉と誤記したためである。…
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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