( 1 )語源に関しては、ふつう、頭(上三句)を旋(めぐ)らす(繰り返す)歌の意とされているが、異説もある。仮に「頭を旋らす」であるとすれば、片歌による問答では頭を旋らすことにはならないし、つぎつぎと幾度も継承されてはじめて「旋頭」の意が生きるところからも、中国の聯句詩を念頭において命名したと考えられる。
( 2 )本来、口誦の掛け合いであったものが記載文芸に取り挙げられたのは人麻呂の時代であったが、三句に区切れを含む形式が叙情文学になじまなかったため、奈良時代以降急速に衰退したとされる。
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頭(こうべ)を旋(めぐ)らす歌、あるいは、頭に旋る歌、の意か。五七七、五七七の六句形式の歌の称。「新治筑波(にいはりつくは)を過ぎて幾夜(いくよ)か寝つる」(倭建命(やまとたけるのみこと))「かがなべて夜(よ)には九夜(ここのよ)日には十日を」(御火焼(みひたき)の老人(おきな))のやりとり(『古事記』)のように、五七七を繰り返すことから「旋頭」と称したと考えられる。この形式の成立をめぐっては、五七七の片歌(かたうた)を2人によって問答したのが後に1人の作者によってつくられるようになった、という片歌問答起源説が有力である。しかし、片歌は、独立的な歌の形式ではなく、組歌のなかで、一定の特別なありようにおいて三句形式が音楽的に現出するところをそうよんだものとみられる。片歌問答は、その片歌を音楽性を離れて独立化して利用したのであり、旋頭歌の源とはいえない。
旋頭歌は、『万葉集』中の存在状況として、作者分明のものでは柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)以前にはみず、「住吉(すみのえ)の小田(をだ)を刈らす子奴(やつこ)かも無き 奴あれど妹(いも)が御(み)ためと私田(わたくしだ)刈る」(巻7)をはじめとして『人麻呂歌集』に過半数が集中するという偏在からも、一般的な歌謡形式とは認めがたい。三句プラス三句という二段構造を強く保持していて、唱(うた)われる形であることは確かであるが、それは唱和の形式(とくに短歌を本末で唱和する形)を利用したものとして考えられる。その成立には人麻呂の関与が大きいと思われる。
[神野志隆光]
長歌,短歌などとともに和歌の歌体の一種で,5・7・7・5・7・7の6句からなる。旋頭歌の〈旋〉は〈めぐる〉の意である。つまり頭句にめぐる,かえるの意で,くり返しうたう歌の意の名義と解される。《歌経標式》では〈双本歌〉と呼んでいる。《万葉集》に62首あってこれが大半であるが,ほかに《古事記》《日本書紀》《古今集》《拾遺集》《千載集》,そして《琴歌譜》などにわずかずつ収められている。もともとは5・7・7の片歌(かたうた)形式による問答,唱和だったと解すべきだろうとされる。《古事記》の神武天皇段に片歌による問答があり,さらに〈住吉の小田を刈らす子奴かも無き奴あれど妹が御為(みため)と私田(わたくしだ)刈る〉(《万葉集》巻七)といった,最初の5・7・7が問いかけ,後の5・7・7が答の作が見られるからである。《万葉集》では,山上憶良,高橋虫麻呂,大伴坂上郎女,大伴家持らの作もあるが多くは作者未詳で,民謡形式の一つだったかと推測されている。
執筆者:佐佐木 幸綱
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五七七五七七の音数律にもとづく歌体。「万葉集」に62首,「古事記」に2首,「日本書紀」に1首載せる。従来,3句からなる片歌(かたうた)が二つ結合してできた歌体と考えられてきたが,短歌の第2句をくり返して歌う誦詠法を新しい歌体の創造に利用したとする説もある。「万葉集」中の過半は「人麻呂歌集」に収められたものだが,文字表記の分析によって,それらが新しい歌体への挑戦として試みられたものであることが指摘されている。
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