古屋徳兵衛(読み)フルヤ トクベエ

20世紀日本人名事典 「古屋徳兵衛」の解説

古屋 徳兵衛(3代目)
フルヤ トクベエ

昭和期の経営者 元・松屋社長



生年
明治44(1911)年1月1日

没年
平成4(1992)年11月7日

出生地
神奈川県横浜市

別名
幼名=祐次郎

学歴〔年〕
東北帝国大学法文学部〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和17年〕,藍綬褒章〔昭和47年〕,勲二等瑞宝章〔昭和56年〕

経歴
名古屋地裁判事を経て、昭和12年家業の松屋(百貨店)に取締役として入社。13年27歳で社長に就任戦災で浅草店を焼失し、戦後は銀座店と横浜店が駐留軍に長い間接収され再建に苦労した。49年会長、51年相談役に退いたが、55年再び会長に。47〜49年日本百貨店協会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古屋徳兵衛」の解説

古屋徳兵衛(3代) ふるや-とくべえ

1911-1992 昭和時代の経営者。
明治44年1月1日生まれ。名古屋地裁の判事をへて,父の2代目徳兵衛の死去にともない,昭和13年家業の松屋呉服店(現松屋)社長となる。戦後,アメリカ軍に接収されていた銀座本店,横浜店の再開復興につとめる。51年横浜店を売却し,伊勢丹から山中鏆(かん)を副社長にむかえ,経営を立て直した。47年日本百貨店協会会長。平成4年11月7日死去。81歳。神奈川県出身。東北帝大卒。幼名は祐次郎。

古屋徳兵衛(初代) ふるや-とくべえ

1849-1911 明治時代実業家
嘉永(かえい)2年生まれ。江戸の薪炭商,海苔(のり)屋などではたらき,明治2年横浜で鶴屋呉服店を開業した。22年東京神田の松屋呉服店を買収し,40年百貨店とする。37年東京呉服太物協会頭取として織物消費税廃止にとりくんだ。明治44年7月30日死去。63歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。

古屋徳兵衛(2代) ふるや-とくべえ

1878-1936 明治-昭和時代前期の実業家。
明治11年3月19日生まれ。初代古屋徳兵衛の次男。明治44年鶴屋呉服店をつぎ,徳兵衛と改名。大正8年東京神田の松屋百貨店を株式会社にあらため,社長となる。14年銀座に進出し,昭和6年浅草店を開設した。昭和11年3月5日死去。59歳。神奈川県出身。前名は藤八。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古屋徳兵衛」の解説

古屋 徳兵衛(3代目) (ふるや とくべえ)

生年月日:1911年1月1日
昭和時代の実業家。松屋社長
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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