デジタル大辞泉
「古市公威」の意味・読み・例文・類語
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古市公威(ふるいちきみたけ)
ふるいちきみたけ
(1854―1934)
土木工学、土木行政のみならず、明治以後の日本の工学教育と技術体系の近代化の基礎づくりにおける最大の功労者。江戸の姫路藩中屋敷で生まれる。明治初期、開成所、大学南校に学び、1875年(明治8)文部省の最初の留学生としてフランスへ赴く。エコール・サントラル、パリ大学理学部を卒業して、1880年帰国、内務省土木局および東京大学理学部に勤め、河川工事の監督、河川工学の指導に尽力。1886年、帝国大学工科大学初代学長。工学教育の基礎を確立。1890年内務省土木局長、1894年初代土木技監。近代的土木行政を確立。1898年逓信(ていしん)次官、1903年(明治36)鉄道作業局長官、同年京釜(けいふ)鉄道株式会社総裁となり、京城(現、ソウル)―釜山(ふざん/プサン)間の鉄道を日露戦争のさなかの1904年10月末に開通させ、旅順攻略の契機をつくる。1906年統監府鉄道管理局長官、帝国学士院会員。1914年(大正3)土木学会創立に際し初代会長に推される。1917年理化学研究所長。1920年学術研究会議初代会長。1924年枢密顧問官。1929年(昭和4)万国工業会会長となり万国工業会議を初めて東京で開く。1932年日仏会館理事長。
[高橋 裕]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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古市 公威
フルイチ キミタケ
- 肩書
- 枢密顧問官,貴院議員(勅選),東京帝大名誉教授
- 別名
- 幼名=兵庫郎 通称=造次 諱=孝粛
- 生年月日
- 嘉永7年7月12日(1854年)
- 出生地
- 江戸
- 出身地
- 兵庫県
- 学歴
- 大学南校 パリ大学理科〔明治13年〕卒
- 学位
- 工学博士〔明治21年〕
- 経歴
- 姫路藩士の子。明治3年大学南校の貢進生となり、フランス語を修得。8年パリ大学理科に留学。13年内務省土木局に入省。19年帝大工科大学教授兼学長になり、21年わが国最初の工学博士。23年土木局長に任じられ、同年勅選貴院議員。その後、内務省初代技監、逓信省総務長官兼官房長・鉄道作業局長官・京釜鉄道会社総裁・韓国総監府鉄道管理局長官等を歴任。36年東京帝国大学名誉教授。大正3年土木学会初代会長。さらに理化学研究所長、万国工学会議会長などを歴任。8年男爵を授けられ、13年枢密顧問官に任じられる。また日仏協会・日仏会館理事長も務め、日仏文化交流に尽力した。
- 没年月日
- 昭和9年1月28日
- 資格
- ?国学士院会員〔明治39年〕
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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古市 公威
フルイチ キミタケ
明治・大正期の土木工学者,男爵 東京帝大名誉教授;枢密顧問官;貴院議員(勅選)。
- 生年
- 嘉永7年閏7月12日(1854年)
- 没年
- 昭和9(1934)年1月28日
- 出生地
- 江戸
- 出身地
- 兵庫県
- 別名
- 幼名=兵庫郎,通称=造次,諱=孝粛
- 学歴〔年〕
- 大学南校,パリ大学理科〔明治13年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔明治21年〕
- 経歴
- 姫路藩士の子。明治3年大学南校の貢進生となり、フランス語を修得。8年パリ大学理科に留学。13年内務省土木局に入省。19年帝大工科大学教授兼学長になり、21年わが国最初の工学博士。23年土木局長に任じられ、同年勅選貴院議員。その後、内務省初代技監、逓信省総務長官兼官房長・鉄道作業局長官・京釜鉄道会社総裁・韓国総監府鉄道管理局長官等を歴任。36年東京帝国大学名誉教授。大正3年土木学会初代会長。さらに理化学研究所長、万国工学会議会長などを歴任。8年男爵を授けられ、13年枢密顧問官に任じられる。また日仏協会・日仏会館理事長も務め、日仏文化交流に尽力した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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古市公威 (ふるいちきみたけ)
生没年:1854-1934(安政1-昭和9)
明治・大正期を代表する土木技術者。江戸の姫路藩中屋敷で生まれ,大学南校・東京開成学校に学び,さらにフランスに留学してエコール・サントラルおよびパリ大学理学部を卒業した。1880年に帰国後内務省土木局に採用され,信濃川,阿賀野川などの河川改修の直轄工事を監督した。86年に帝国大学工科大学教授兼初代の工科大学長となり,その後内務省土木局長・土木技監を兼務するが,98年にすべての職を辞任した。1903年に京釜鉄道株式会社総裁に就任,14年には土木学会が創立されるとその初代会長となり,さらに枢密顧問官,万国工業会長の要職を歴任した。彼の業績は土木工学のみならず工学一般に及ぶが,とくに初代工科大学長として広い視野に立ち,水準の高い工学教育機関を構想し,それを実現した功績は特筆に値する。
執筆者:佐藤 馨一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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古市公威
ふるいちこうい
[生]嘉永7(1854).閏7.12. 江戸
[没]1934.1.28.
土木工学者。明治3 (1870) 年姫路藩よりの貢進生として大学南校に入学,仏語科生となり,諸芸学科を卒業。フランスに留学 (75~80) したのち内務省土木局勤務。東京大学内に新設された工科大学教授兼工科大学長となり (86) ,河川運河および港湾工学の講義を担当,1888年日本最初の工学博士の学位を受ける。工科大学教授,工科大学長を兼務のまま内務省土木局長 (90~96) となる。その後,製鉄事業調査委員長,日仏協会理事長,工学会会長,理化学研究所所長などの顕職につく。明治,大正を通じて最高の土木工学者であり,同時に土木行政官であった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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古市公威 ふるいち-こうい
1854-1934 明治-昭和時代前期の土木工学者。
嘉永(かえい)7年閏(うるう)7月21日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩士古市孝の長男。開成所,大学南校にまなぶ。フランス留学後,内務省に勤務。明治19年帝国大学工科大学初代学長となり,のち内務省土木局長をかねる。日本の土木工学,土木行政の近代化につくした。土木学会会長,理化学研究所長,万国工業会議会長,日仏会館理事長などをつとめた。貴族院議員,枢密顧問官。昭和9年1月28日死去。81歳。江戸出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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古市 公威 (ふるいち こうい)
生年月日:1854年7月12日
明治時代;大正時代の土木工学者。東京帝大工科大学初代学長;土木学会初代会長
1934年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の古市公威の言及
【フランス】より
… 日本からも西園寺公望,大山巌,伏見宮,閑院宮,中江兆民などフランスに留学する者が多く出,山本芳翠,黒田清輝,久米桂一郎らが画家のパリ留学の先鞭をつけた。1875年には古市公威(きみたけ)が留学,80年博士号(工学および理学)を取って帰国した。明治10年代からは洋風宮廷建設のため家具職,大工,庭師など,多くの職人が技術習得のためフランスに渡り,ブドウ栽培,ブドウ酒醸造,革細工,製本術,航空術,潜水艦などを学びに行く者も現れた。…
※「古市公威」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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