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古市公威 ふるいちこうい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

古市公威
ふるいちこうい

[生]嘉永7(1854).閏7.12. 江戸
[没]1934.1.28.
土木工学者。明治3 (1870) 年姫路藩よりの貢進生として大学南校に入学,仏語科生となり,諸芸学科を卒業。フランスに留学 (75~80) したのち内務省土木局勤務。東京大学内に新設された工科大学教授兼工科大学長となり (86) ,河川運河および港湾工学の講義を担当,1888年日本最初の工学博士の学位を受ける。工科大学教授,工科大学長を兼務のまま内務省土木局長 (90~96) となる。その後,製鉄事業調査委員長,日仏協会理事長,工学会会長,理化学研究所所長などの顕職につく。明治,大正を通じて最高の土木工学者であり,同時に土木行政官であった。

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デジタル大辞泉の解説

ふるいち‐こうい〔‐コウヰ〕【古市公威】

[1854~1934]土木工学者。江戸の生まれ。工科大学(現、東大工学部)学長。内務省土木局長。貴族院議員枢密顧問官。姫路藩士の長男として生まれ、フランス留学後内務省に勤務。近代土木技術の確立に努め、土木行政の改善や土木法規の制定などに寄与した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

古市公威 ふるいち-こうい

1854-1934 明治-昭和時代前期の土木工学者。
嘉永(かえい)7年閏(うるう)7月21日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩士古市孝の長男。開成所,大学南校にまなぶ。フランス留学後,内務省に勤務。明治19年帝国大学工科大学初代学長となり,のち内務省土木局長をかねる。日本の土木工学,土木行政の近代化につくした。土木学会会長,理化学研究所長,万国工業会議会長,日仏会館理事長などをつとめた。貴族院議員,枢密顧問官。昭和9年1月28日死去。81歳。江戸出身。

古市公威 ふるいち-きみたけ

ふるいち-こうい

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世界大百科事典 第2版の解説

ふるいちきみたけ【古市公威】

1854‐1934(安政1‐昭和9)
明治・大正期を代表する土木技術者。江戸の姫路藩中屋敷で生まれ,大学南校・東京開成学校に学び,さらにフランスに留学してエコール・サントラルおよびパリ大学理学部を卒業した。1880年に帰国後内務省土木局に採用され,信濃川阿賀野川などの河川改修の直轄工事を監督した。86年に帝国大学工科大学教授兼初代の工科大学長となり,その後内務省土木局長・土木技監を兼務するが,98年にすべての職を辞任した。1903年に京釜鉄道株式会社総裁に就任,14年には土木学会が創立されるとその初代会長となり,さらに枢密顧問官,万国工業会長の要職を歴任した。

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大辞林 第三版の解説

ふるいちこうい【古市公威】

1854~1934) 土木工学者。江戸の生まれ。工科大(現東大工学部)学長。全国の河川治水・港湾修築や鉄道・水力発電・上水道などの指導監督にあたる。また土木行政の改善、土木法規の制定など近代土木技術の確立に寄与。

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世界大百科事典内の古市公威の言及

【フランス】より

… 日本からも西園寺公望,大山巌,伏見宮,閑院宮,中江兆民などフランスに留学する者が多く出,山本芳翠,黒田清輝,久米桂一郎らが画家のパリ留学の先鞭をつけた。1875年には古市公威(きみたけ)が留学,80年博士号(工学および理学)を取って帰国した。明治10年代からは洋風宮廷建設のため家具職,大工,庭師など,多くの職人が技術習得のためフランスに渡り,ブドウ栽培,ブドウ酒醸造,革細工,製本術,航空術,潜水艦などを学びに行く者も現れた。…

※「古市公威」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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