日本大百科全書(ニッポニカ) 「古筆学」の意味・わかりやすい解説
古筆学
こひつがく
文化史上の広い視野にたって、古い筆跡の内容、筆者、書写年代などを明らかにし、それらを系統的に分類整理する学問。国文学、歴史学、書道史、美術史などの人文科学の諸分野と密接な関連をもつ。狭義の古筆とは主として平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様の名筆をいい、後世、切断され、古筆切(ぎれ)として珍重されるようになり、古筆切鑑定を専門とする古筆家(け)が生まれた。しかし、その鑑定方法は多分に主観的判断によるもので、非学問的な根拠の薄いものであった。一方、江戸時代後半、中国清(しん)朝における金石文(金属、石類に鋳刻した古代の文字文章)の研究の影響を受けて、日本でも狩谷棭斎(かりやえきさい)らによって文字用法の研究が進められてきたが、明治以後、中国の金石学が紹介され、考古学、考証学、美術史の発達に伴い、新しい書道の研究がおこり、日本の古筆もまた見直されるようになった。明治末年から昭和にかけて大口周魚(しゅうぎょ)、佐佐木信綱(のぶつな)、田中親美(しんび)、尾上柴舟(おのえさいしゅう)、吉沢義則(よしのり)、池田亀鑑(きかん)、源豊宗(とよむね)(1895―2001)、久曽神昇(きゅうそじんひたく)(1909―2012)、飯島春敬(いいじましゅんけい)(1906―1996)、萩谷朴(はぎたにぼく)(1917―2009)らによって古筆の重要性が認識され、有益な研究成果をもたらしてきた。池田亀鑑は藤原定家(ていか)自筆本の『土佐日記』から、これは定家が紀貫之(きのつらゆき)の自筆本を忠実に模写したものであることを証明し、貫之の自筆本の再建に成功した。これは文献学研究として高く評価され、この方法は国文学、歴史学の分野に応用されてきた。
古筆の筆跡鑑定にあたっては、まずこうした文献学的方法があげられるが、この場合、文献の批判と吟味、文献と遺品との接点が問題となる。こうした方法で小野道風(とうふう)の『屏風土代(びょうぶどだい)』は、藤原定信(さだのぶ)(1088―1156)の鑑識奥書と『日本紀略』の記事とを照合することによって筆者および書写年代延長(えんちょう)6年(928)が決定づけられた。こうした例は同じく道風の『智証大師謚号勅書(ちしょうだいししごうちょくしょ)』、藤原佐理(すけまさ)の『詩懐紙(しかいし)』などにもみられる。
近年、小松茂美(しげみ)(1925―2010)はこうした従来の研究を踏まえて、独自の方法による新たな学問体系化の樹立を提唱し、これを古筆学と唱えた。小松は専攻する書跡研究を基礎に、書跡の分析調査のほかに、字母(じぼ)使用の頻度率による個性の把握に注目し、書風が筆者の個性によってまちまちであると同様に、各個人の日常記載する字母にも特徴がみいだせると想定した。今日われわれが用いる平仮名は47文字であるが、明治以前は変体仮名、万葉仮名とよばれて無制限に字母が用いられ、たとえば「あ」は安、阿、悪、愛などが用いられ、『万葉集』の表記にしても約1000字近くもあったが、時代の下降につれて11世紀ごろには250ほどの字母に減少、淘汰(とうた)された。小松は日光二荒山(ふたらさん)神社蔵の伝飛鳥井雅経(あすかいまさつね)筆『後撰(ごせん)和歌集』(1冊、零本)の筆者推定にあたって、雅経自筆と推定証明されている『崇徳院(すとくいん)御本古今和歌集』(2冊、個人蔵)と、二荒山本後撰和歌集と同筆になる伝雅経筆『今城切(いまきぎれ)本古今和歌集』とを比較し、両者の字母の使用に大きな違いがあることを発見、同時に筆跡の厳密な考証の結果、今城切本の筆者が藤原教長(のりなが)(1109―1180)であることを導き出した。以上の文献学的方法や字母の頻度率による方法にあわせて、科学的な方法として、接写や顕微鏡写真による、運筆、起筆、終筆、点画の特徴のより正確な把握と、料紙の繊維や墨の粒子の微細な特徴の比較研究があげられ、科学の進歩と相まって、筆跡鑑定のいっそう新たな開発が期待されるのである。
これらの方法によって、古筆の黄金期ともいえる平安時代にいくつかの能書家群像を割り出すことができる。すなわち、(1)11世紀中期 伝紀貫之筆『高野切古今集』第二種書風(源兼行(かねゆき)、1024―1074ころ生存活躍)、(2)11世紀末期 伝藤原公任(きんとう)筆『藍紙(らんし)本万葉集』(藤原伊房(これふさ)、1030―1096)ほか、(3)12世紀初期・中期 伝源俊頼(としより)筆『元永(げんえい)本古今集』(藤原定実(さだざね)推定)ほか、(4)12世紀中期・末期 伝飛鳥井雅経筆『今城切本古今集』(藤原教長)ほか、など四つの時期に能書の一群が集中する。それらのなかには筆者の判明するものもあるが、多くは不明で、その場合はとりあえず記号で表示される。
今日では古筆学の範囲は単に平安時代にとどまらず、飛鳥時代から江戸時代までの書跡のすべてを対象とするが、本文上の吟味などは国文学、歴史学などの専門分野に譲るべき面も少なくない。
[古谷 稔]