吉崎御坊跡(読み)よしさきごぼうあと

日本歴史地名大系 「吉崎御坊跡」の解説

吉崎御坊跡
よしさきごぼうあと

[現在地名]金津町吉崎

金津町の最北端、吉崎山(通称御山)上にあり、国指定史跡本願寺八世蓮如がこの地に坊舎を建立し、以後、北陸地方における真宗布教・教化の中心となった。

近江若狭越前寺院神社大事典〉

〔建立経緯〕

寛正六年(一四六五)一月、比叡山僧徒大谷本願寺(現京都市東山区)破却された蓮如は、一時、近江の堅田本福かたたほんぷく(現滋賀県大津市)などに身を寄せたが、文明三年(一四七一)越前に移って堂宇を建立した。同五年九月の蓮如消息写(上越市本誓寺蔵)

<資料は省略されています>

とある。蓮如がこの地を選んだ理由の一つに朝倉氏寄進(朝倉始末記)があるが、最近では「大乗院寺社雑事記」によって、河口かわぐち細呂宜ほそろぎ郷を領有する奈良興福寺の大乗だいじよう院門跡経覚と蓮如との血縁関係、および細呂宜郷別当であった和田本覚わだほんがく寺の勧誘によるものとする説が有力となった。また吉崎が越前・加賀両国の守護勢力からの圧力を比較的受けにくい国境の地であることも、その理由の一つにあげられる。また「言語道断オモシロキ在所」(文明五年八月二日「蓮如消息写」珠洲市西光寺蔵)といわれるように、景勝の地・交通の要地であった。坊舎の建立された吉崎山は、標高三二メートル余の小丘にすぎないが、北東方が加越国境の山地と陸続きになっているだけで三方北潟きたがた湖に囲まれる要害の地で、城郭寺院的色彩が強かった。延宝年間(一六七三―八一)の吉崎山絵図(松平文庫蔵)によると、周囲に土手をめぐらした痕跡が残っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「吉崎御坊跡」の解説

よしざきごぼうあと【吉崎御坊跡】


福井県あわら市吉崎にある坊舎跡。越前国の北端、北潟(きたがた)に突出した海抜約33mの「御山」に置かれ、開創当時は「御山」の奥に坊舎を構え、周囲に土塁をめぐらしたものと推定されている。現在は坊舎のあった土地に数個の礎石が残っているほか、山上北東部に土塁の痕跡をとどめている。吉崎の地は一向宗勢力の増大にともない、寺内町一帯が要害化したが、後の山科本願寺石山本願寺の造営の祖型もこの吉崎寺内町にみられ、その歴史的意義は大きいことなどから、1975年(昭和50)に国の史跡に指定された。本願寺第8代法主・蓮如(れんにょ)は1471年(文明3)、吉崎御坊を開き、以後、吉崎を退去するまでこの地を拠点として盛んに布教活動を行い、本願寺教団が北陸に一大領国を形成する礎をつくった。山麓には現在、吉崎御坊蓮如上人記念館が建っている。JR北陸本線大聖寺駅から北鉄バス「吉崎」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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