デジタル大辞泉
「吉沢義則」の意味・読み・例文・類語
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よしざわ‐よしのり【吉沢義則】
国語・国文学者。愛知県出身。東京帝国大学卒。京都帝国大学教授。平安文学専攻。かな書道をよくし、短歌では「
帚木」を主宰。日本文法、
ヲコト点の研究など国語学の面での
業績が大きい。
著作「国語国文の研究」「対校
源氏物語新釈」「国語史概説」「源語釈泉」など。明治九~昭和二九年(
一八七六‐一九五四)
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吉沢義則
よしざわよしのり
[生]1876.8.22. 名古屋
[没]1954.11.5. 京都
国文学者,国語学者,歌人。 1902年東京大学国文学科卒業。 1919年京都大学教授。文学博士。国文学者としては『室町文学史』 (1936) ,『対校源氏物語新釈』 (1937~40) ,『鎌倉文学史』 (1940) ,『源語釈泉』 (1950) などの著書のほか,『未刊国文古注釈大系』 (1934~38) の編纂などの業績がある。国語学者としてはヲコト点研究の端緒を開いた点で高く評価される。著書に『国語国文の研究』 (1927) ,『国語史概説』 (1931) ,『国語説鈴』 (1931) などがある。歌人としては短歌結社「若菜会」を結成,歌誌『帚木 (ははきぎ) 』を主宰した。書家としても知られる。
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吉沢義則
よしざわよしのり
(1876―1954)
国語学者、国文学者、書家。名古屋市生まれ。東京帝国大学文科大学国語国文学科卒業。京都帝国大学教授、立命館大学文学部長そのほかを歴任。国語学者としては漢文の訓点の研究を開拓した一人で、ヲコト点の研究を初めて行い、『乎古止(おこと)点の研究』で文学博士となった。論文集に『国語国文の研究』(1927)、『国語説鈴(せつれい)』(1931)がある。国文学者としては平安朝文学、とくに『源氏物語』を専攻し、『対校源氏物語新釈』(1936~1937)ほかの著がある。また書に優れ、日展の書道審査員を務めた。日本書道史に関する著もあり、そこでも国語学者として仮名の発生と発達について説いている。
[安田尚道 2018年10月19日]
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吉沢義則【よしざわよしのり】
国語学者,国文学者,書家。名古屋生れ。旧姓木村。東大国文科卒。京大名誉教授,武庫川大学学長等。漢文訓読史,国語文体史,平安文学,書道史等の研究に業績が多い。文学研究においても語史など国語学的側面を重視する京大の国語国文学研究の学風の基礎をつくった。主著は《国語史概説》《点本書目》《対校源氏物語新釈》など。
→関連項目国語学
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吉沢義則 よしざわ-よしのり
1876-1954 明治-昭和時代の国語・国文学者。
明治9年8月22日生まれ。広島高師教授をへて大正8年京都帝大教授。国語学での訓点・文体史研究,国文学での「源氏物語」や和歌の研究などで成果をあげた。歌人,書家としても知られる。昭和29年11月5日死去。78歳。愛知県出身。東京帝大卒。旧姓は木村。著作に「対校源氏物語新釈」「国語説鈴(せつれい)」など。
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世界大百科事典(旧版)内の吉沢義則の言及
【をこと点∥乎己止点∥遠古登点】より
…〈ヲコト点〉を付した文献を点本という。〈ヲコト点〉の研究は明治以後において吉沢義則(《国語国文の研究》《点本書目》)によって開拓され,春日政治,遠藤嘉基(《訓点資料と訓点語の研究》)や中田祝夫(《古点本の国語学的研究》)および大坪併治,築島裕,小林芳規らによって大いに進められた新しい研究分野である。【大野 晋】。…
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