吉祥寺跡(読み)きつしようじあと

日本歴史地名大系 「吉祥寺跡」の解説

吉祥寺跡
きつしようじあと

[現在地名]水沢市 大畑小路

大畑おおばたけ小路の西側にあった留守氏の祈祷寺で、清明せいめい女学校敷地を経て現在、吉祥閣が建っている一帯約一町一反歩が寺域であった。関峰山と号し、本尊不動明王。江戸時代の本寺は山城醍醐寺報恩ほうおん院で、末寺には水沢に正福しようふく院・普賢ふげん院、八幡やわた村に伯斎はくさい寺、磐井いわい下折壁しもおりかべ(現東磐井郡室根村)松樹しようじゆ院があった。開山は憲深であるが、年月は不詳。留守政景が一関在城の折、宥存を中興開山とした。寛永六年(一六二九)留守宗利が水沢に移ったとき当寺も移り、客並取扱として寺領二貫四〇〇文を受けた(塩竈村安永風土記)


吉祥寺跡
きつしようじあと

[現在地名]伊豆長岡町南江間

南北朝期から江戸時代まで存在した臨済宗寺院。瑞竜山と号し、諸山に列していた(一二月一四日「畠山義清書状」相模文書)。了堂素安の開山で(本朝高僧伝)、伊豆守護畠山国清とその弟義深が開基とされる(鎌倉大草紙)。了堂素安の塔所鎌倉建長寺宝珠庵の末寺であった。北条ほうじよう寺・東漸とうぜん寺は当寺の塔頭であったといい(増訂豆州志稿)、現存する文書の一部は北条寺の所蔵になっている。

延文元年(一三五六)の八月一三日付伊豆守護畠山国清書状(神田孝平氏所蔵文書)に「吉祥寺」とみえ、三嶋社(三嶋大社)の塔婆・三昧堂の造営住持が命じられている。


吉祥寺跡
きつしようじあと

[現在地名]土佐山田町楠目 談議所

談議所だんぎしよにあったが、明治初期の廃仏毀釈廃寺となった。「南路志」によれば浦照山成就院と号し、真言宗竹林ちくりん(現高知市)末で本尊は不動明王、金堂は三間四面で、その本尊は毘沙門天。

創建年代は不詳。天正一六年(一五八八)の山田郷地検帳には宮田みやたの東に接して吉祥寺が記され、「寺中金堂本尊者比沙門天王、三間四面也」とある一反二五代の金堂を中心とした寺中をはじめ、二二代四歩の西坊、二五代の大宝坊、二三代四歩の宝直坊、三五代二歩の北之坊、二〇代の南坊が記される。


吉祥寺跡
きちじようじあと

[現在地名]宇和島市野川

元禄一六年(一七〇三)七月の城下町絵図によると、等覚とうがく寺の奥にあった寺。明治に入り廃寺。山号も開基も明らかではないが「宇和旧記」によると、毛山けやま四ヵ寺の一つに数えられた由緒をもち、本尊は薬師如来で、最初、現在の金剛山大隆だいりゆう寺の寺域にあった。富田信高が金剛山を建て、のちに薬師堂が残った。広島屋孫太夫が薬師如来に祈願して眼病が快癒したので、寛永二年(一六二五)愛宕山の下に堂を建てて薬師如来を安置した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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