向原遺跡(読み)むかいはらいせき

日本歴史地名大系 「向原遺跡」の解説

向原遺跡
むかいはらいせき

[現在地名]平塚市上吉沢 向原・吉浜

大磯丘陵が北に張出した舌状台地上にある。標高八八・九メートルの台地の中央部南側に集中して歴史時代の掘立柱建物・竪穴住居跡、西側に弥生から古墳時代の遺構が、西南に縄文時代の遺構が集中して発見された。現在は県企業庁水道局平塚配水池となり消滅。昭和五二年(一九七七)から五六年まで四年間にわたり、台地全面の調査が実施された。遺構では縄文時代は竪穴状遺構一基、土壙九九基、礫群一九基、小ピット群一基、弥生時代後半から歴史時代は竪穴住居跡一八四基、掘立柱建物遺構一八二基、土壙一五三基、溝状遺構九基、道路遺構七基などが検出された。


向原遺跡
むかいばらいせき

[現在地名]本埜村竜腹寺 向原

印旛沼に向かう支谷最奥部の標高約二六メートルの台地上に位置する。千葉ニュータウン造成に伴い昭和四六年度に発掘調査が行われ、旧石器時代を主として、若干の縄文時代、近世の遺構・遺物が発見された。旧石器時代に属する三つの文化層があり、上層(III層上部)で二地点から稜柱形細石刃石器群、中層(IV層上部)で一地点から小型尖頭器およびナイフ形石器一群下層(IV層下部―V層)で二地点から切出形ナイフ形石器を主体とする石器群と礫群が検出された。


向原遺跡
むかいばらいせき

[現在地名]佐倉市寺崎

鹿島かしま川に面する台地上に位置。昭和五五年(一九八〇)から同五七年にかけて調査され、弥生時代中期後半の方形周溝墓四三基が確認された。小谷津を挟んで東側に所在する大崎台おおさきだい遺跡の環濠集落跡に対応する墓跡群と考えられ、弥生中期後半の村落景観を考えるうえで重要である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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