呉敬梓(読み)ゴケイシ

デジタル大辞泉 「呉敬梓」の意味・読み・例文・類語

ご‐けいし【呉敬梓】

[1701~1754]中国しん初の文学者安徽あんき全椒ぜんしょうの人。あざな敏軒びんけん、号は文木ぶんぼく著作儒林外史じゅりんがいし」は風刺小説の源流とされ、「紅楼夢こうろうむ」とともに清朝小説の双璧と称される。他に「文木山房集」「詩説」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉敬梓」の意味・わかりやすい解説

呉敬梓
ごけいし
(1701―1754)

中国、清(しん)代の文人。字(あざな)は敏軒、また文木という。安徽(あんき)省全椒(ぜんしょう)県の人。名門の出身であるが秀才に合格して以後官途につこうとしなかった。33歳のとき立身出世に愛想を尽かし、遺産を浪費して南京(ナンキン)に移住した。その後友人を頼って放浪し、揚州で客死した。貧窮生活のなかで創作を始め、社会の底辺からさまざまな身分、性格の人物を醒(さ)めた眼(め)で描き、とくに上層の文人を鋭く批判し、その反骨によって読者の共感をよんだ。『儒林外史』のほか詩文集『文木山房集』『金陵景物図詩』がある。

[尾上兼英]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呉敬梓」の意味・わかりやすい解説

呉敬梓
ごけいし
Wu Jing-zi

[生]康煕40(1701)
[没]乾隆19(1754).10.28. 揚州
中国,清の文学者。安徽省全椒県の人。字,敏軒あるいは文木。名門の出身で,若い頃から学問にすぐれ,23歳で秀才に合格した。しかし父の死後一族の財産争いの醜さから次第に反俗的になり,家産を蕩尽して南京に移り,乾隆1 (1736) 年,博学鴻詞科に推挙されながら,病気を理由にこれを辞し,立身の道と断絶。その後は貧乏に苦しみながら,50歳頃に科挙をめぐる醜悪な人間像を描く風刺小説『儒林外史』を完成させ,やがて江蘇省揚州で客死した。詩文集『文木山房集』。

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旺文社世界史事典 三訂版 「呉敬梓」の解説

呉 敬梓
ごけいし

1701〜54
清代中期の作家
字 (あざな) は敏軒。長編小説『儒林外史』を著し官吏・学者を風刺した。

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世界大百科事典(旧版)内の呉敬梓の言及

【儒林外史】より

…中国,清代の白話長編小説。作者の呉敬梓(ごけいし)(1701‐54)は字は文木で,終生官途につけず落魄の生涯を送った人。初版は1770年代(乾隆35‐44)刊と推定される金兆燕刻本だが,現存する最古の刊本は1803年(嘉慶8)の臥閑草堂本56回である。…

【中国文学】より

…その作者はもはや市井の無名人だけでなく,教養ある文人も参加しはじめた。その一,二の例をあげれば,戯曲における明の湯顕祖,小説における明の呉承恩,清の呉敬梓(ごけいし)などがある。いずれも詩文集を伝え,湯顕祖は文人として著名な人物であった。…

※「呉敬梓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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