日本大百科全書(ニッポニカ) 「周忱」の意味・わかりやすい解説
周忱
しゅうしん
(1381―1453)
中国、明(みん)初期の有能な財政官僚。江西省吉水県の人。字(あざな)は恂如(じゅんじょ)。諡(おくりな)は文襄(ぶんじょう)。1404年の進士。1430年から20年あまり、当時の国家のもっとも重要な財源であった揚子江(ようすこう)下流南岸の蘇州(そしゅう)、松江(しょうこう)、常州(じょうしゅう)、嘉興(かこう)、湖州(こしゅう)などの諸府からの租税徴収確保、およびこの地方の治安維持にあたる南直隷巡撫(みなみちょくれいじゅんぶ)を務めた。この地方に多く設置されていた官田(かんでん)という国有地の高率土地税の切下げ、土地税の付加負担部分である加耗(かこう)割当ての社会的地位に基づく不公平の是正、土地税の一部の銀による代納を認める金花銀(きんかぎん)制の創始をはじめ、多方面にわたる総合的な財政改革を、綿密な現地事情調査に基づいて断行し、多額の滞納を一掃するとともに、従来の土地税総収入額を確保した。
周忱の改革は、危機に瀕(ひん)していた洪武帝・永楽帝以来の明初の財政を立て直しただけでなく、土地税の税率均一化、銀納化の方向を打ち出すことによって、明朝後半期から清(しん)朝前期にかけて行われた一条鞭法(いちじょうべんぽう)、地丁併徴(ちていへいちょう)などの財政改革に大きな影響を与えた。周忱は巡撫在任当時、工部右侍郎(うじろう)、戸部(こぶ)尚書など中央政府の高官の肩書を与えられていたほか、巡撫辞任後の晩年には工部尚書を務めた。
[森 正夫]