和束(読み)わづか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「和束」の意味・わかりやすい解説

和束(町)
わづか

京都府南部、相楽(そうらく)郡の町。1954年(昭和29)西和束、中和束、東和束の3村が合併して町制施行。1956年湯船(ゆぶね)村を編入。町域の大部分山地であるが、中央を南西流する木津(きづ)川の支流和束川に沿って平地が開ける。JR関西本線加茂(かも)駅からバスが通じる。宅地化が進む宇治市にかわって、宇治茶の最大の産地となり、府下煎茶(せんちゃ)生産の約5割を占める(2021)。北の宇治田原(うじたわら)町との境には鷲峰山(じゅうぶざん)(682メートル)がそびえ、山頂には7世紀末創建と伝えられる金胎寺(こんたいじ)がある。金胎寺多宝塔と宝篋(ほうきょう)印塔、天満宮本殿などは国指定重要文化財。面積64.93平方キロメートル、人口3478(2020)。

織田武雄

『『和束町史』(1995・和束町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「和束」の意味・わかりやすい解説

和束[町] (わづか)

京都府南東部,相楽郡の町。人口4482(2010)。木津川の支流和束川の流域に位置し,町域の大部分が山地で,北に鷲峰山(じゆぶせん)(682m)がそびえる。古く聖武天皇の恭仁(くに)京造営時より,一帯の山は杣(そま)として利用されたものと考えられ,天皇の子安積(あさか)親王の死(744)を悼んだ大伴家持の歌に〈和豆香(わづか)そま山〉の名がみえる(《万葉集》巻三)。和束杣は,のちには興福寺領となっており,源平争乱の際には平氏が兵士や兵粮米を賦課し,杣工らはその停止を訴えている。元弘の乱の際,後醍醐天皇はいったんは〈和束ノ鷲峰山〉に逃れたが〈余リニ山深ク里遠シテ,何事ノ計略モ叶マジキ処〉なので,さらに笠置に遷幸したという(《太平記》巻二)。室町時代には北野社領和束荘もあった。江戸時代初期,和束郷14ヵ村は将軍徳川秀忠の娘和子(東福門院)が後水尾天皇の中宮となったことにより化粧料として献上され,禁裏御料として明治維新に至った。山地斜面を利用した茶の栽培が盛んで,とくに煎茶の主産地として知られ,林業も行われる。鷲峰山山頂近くにある金胎(こんたい)寺は,山岳霊場として古くから開かれたと伝え,大和大峰山に対して〈北大峰〉と呼ばれた。境内は国の史跡。また白栖(しらす)には安積親王の墓とされる墳墓がある。
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百科事典マイペディア 「和束」の意味・わかりやすい解説

和束[町]【わづか】

京都府南東部,相楽(そうらく)郡の町。木津川の支流和束川の流域を占め,平地が少なく山腹の斜面は茶園に利用される。特に煎茶の生産が盛ん。和束川上流の湯船では林業が盛ん。北にそびえる鷲峰(じゅうぶ)山には古来山岳霊場として奈良の大峰山に対し〈北大峰〉とよばれた金胎(こんたい)寺があり,その境内は史跡。64.93km2。4482人(2010)。

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